◆日本史大戦略◆ 西関東・北東北の史跡を踏査し歴史を考察!

武田信虎・信玄・勝頼三代の居城・躑躅ヶ崎館

最終更新日:2015年5月19日

 

前回の記事はこちら

 

 昨日はお風呂に入っていないので、とても気持ちが悪いです。

 

 粟村さんがスマホで近所の温泉を調べてくれて、その結果、昨日行った要害城跡の麓にある「要害山温泉」が良さそうだということが分かったので、甲府城跡を出ると、またまた昨日走った道を北上します。

 

 でも、11時のオープンまでまだ時間があるので、途中にある躑躅ヶ崎館跡(つつじがさきやかた)をちょっとだけ見てみましょう。

 

 

探訪データ
探訪年月日 2014年10月12日(日)
天候 晴れ
同道者 粟村さん
探訪ルート 【10月11日】 岩殿城跡 → 要害城跡 → 新府城跡
【10月12日】 甲府城跡 → 躑躅ヶ崎館跡 → 恵林寺 → 雲峰寺 → 景徳院

 

躑躅ヶ崎館概要
ふりがな つつじがさきやかた
別名 武田氏館
住所 山梨県甲府市古府中町2611

史跡指定 国指定史跡(昭和13年<1938>指定) 史跡名称:武田氏館跡(たけだしやかたあと)
その他 日本100名城
現況 武田神社
規模/比高 東西約400m×南北約500m/比高ほぼ変わらず
目で見られる遺構 曲輪・土塁・櫓台・空堀・水堀
復元遺構 大手石塁
存続時期  
城主・城代・関係者 武田信虎・信玄・勝頼
城攻めの記録  

 

躑躅ヶ崎館の最新状況をチェック

 

 躑躅ヶ崎館は、国指定史跡になっており、史跡名は「武田氏館跡」です。

 

 東北地方の城館跡をずっと研究していた私は、「館」というと、どうしても「たて」と呼んでしまう癖があるので、油断すると「つつじがさきだて」と呼びそうになります。

 

 さて、戦国武田氏の信虎・信玄・勝頼三代の居城だった躑躅ヶ崎館は、現在は武田神社の境内となっています。

 

 駐車場に着くと、結構今日は混んでますね。

 

 何度も同じことを言ってくどいですが、躑躅ヶ崎館跡には10年前の2004年4月17日に、遠野のとらねこさんと一緒に訪れています。

 

 なので今日で2度目なわけですが、初めてきたときも、想像以上に堀や土塁が大きくて、ビックリしました。

 

 イメージでは「館」というくらいなので大したことがないと思っていたのですが、実際見てみると完璧な平城だったわけです。

 

 さて今日は、前回来た時から発掘が進んでいる武田神社東側の「大手門周辺ゾーン」に行ってみます。

 

 お、なんか前回とだいぶ違っている!

 

 石積みの塁が復元されているのがまず目に飛び込んできました。

 

大手石塁

写真1 大手石塁

 

 説明板によると、この石塁は武田氏滅亡後に築かれたそうです。

 

 なんだー、と思いましたが、実はもっと凄い物がこの下に眠っているのです!

 

 というのも、武田氏時代には、この場所に武田氏の城郭に特徴的な、丸馬出と三日月堀があったというのです!

 

 丸馬出と三日月堀は、武田氏独特とはいえ、信濃や上野・駿河地方の城郭に多く、甲斐では昨日訪れた新府城跡とここだけで見つかっているそうです。

 

 躑躅ヶ崎館跡では、現在も発掘調査が続いているので、今後も新たな発見がなされることに期待ですね。

 

 石塁の東側には、厩(うまや)跡が平面表示されています。

 

厩跡

写真2 厩跡

 

 しかしこれも武田氏が滅亡した後に作られたものだということです。

 

 厩のさらに東側には土塁が見えますが、それが武田氏滅亡後のこの館の東の境界になります。

 

東側土塁

写真3 東側土塁

 

 それでは、ここで現地の説明板の図を表示して、躑躅ヶ崎館の全体像を掴んでいただきましょう。

 

躑躅ヶ崎館全体図

写真4 躑躅ヶ崎館全体図

 

 上の写真にも注意書きがありますが、現在我々がいる場所が「大手」と書かれている場所で、武田氏滅亡後に増築された場所です。

 

 武田氏が居館としていた頃にあった曲輪は、現在武田神社が鎮座まします主郭部とその西側の西曲輪、それとそれらの北側にある、味噌曲輪・稲荷曲輪・無名曲輪・御隠居曲輪です。

 

 南側の梅翁曲輪は、武田氏滅亡後の増築になります。

 

 武田氏時代においても、その規模は主郭部分だけでも2町四方(218m四方)あり、西曲輪の面積はその半分です。

 

 なので、全体規模は意外と大きいのです。

 

 それでは、武田神社がある主郭跡をプラプラしてみましょう。

 

武田神社拝殿

写真5 武田神社拝殿

 

 あーそうか、七五三なんですね。

 

 だから混んでいるのです。

 

 社務所に寄って資料を購入します。

 

 粟村さんは偉く高い写真集のような資料集(本の名前は忘れました)が欲しいと言っていますが、今日は購入を見送るようです。

 

 私は粟村さんに「こういう資料は売り切れると入手が難しくなるので、高くても買っておいた方が良いですよ」と言いましたが、そういう私自身、そろそろ手持ち金が少なくなってきました。

 

 主郭跡は現在は区画割りされていませんが、発掘調査の結果、往時は土塁によって4つに区画されていたことが分かっています。

 

 再び、プラプラします。

 

 主郭の西側を護る土塁、やっぱりでかいですねえ。

 

主郭西側土塁

写真6 主郭西側土塁

 

 西曲輪は、天文20年(1551)に、信玄が嫡男の義信のために新造した曲輪です。

 

 ということは、躑躅ヶ崎館は永正16年(1519)に築城されてから、足かけ33年間は単郭の館だったんですね。

 

 そうすると、かなり防御力が貧弱ですが、いざという時のために北方2kmの地点に詰城である要害城を築いたわけです。

 

 冒頭、初めて躑躅ヶ崎館に訪れた時に、想像以上に土塁や堀が大きいことに驚いたと言いましたが、自宅に戻ってから武田神社で購入した『山梨歴史美術シリーズ4 武田神社 武田氏館跡』を読んだところ、実は現在見ることのできる巨大な土塁や堀が築城当初から有ったわけではなく、主郭南側の土塁に関しては、6回の改修を経て現在の形になったことが発掘調査の結果分かっているということを知りました。

 

 躑躅ヶ崎館は最初は単郭の小さな館でスタートして、徐々に巨大な城館へと成長して行ったわけですね。

 

 西曲輪から南側の虎口を抜けると、南側の堀は水堀となっています。

 

水堀

写真7 水堀

 

 なお、現在の武田神社への入り口である太鼓橋経由の参道は、神社が創建されたときに作られた道で、往時は最初に見た通り、東側に大手があり、それ以外の出入口としては、北側の御隠居曲輪との接続部分と、西曲輪との接続部分があり、合計3ヶ所の出入口がありました。

 

 それと、「躑躅ヶ崎館」という通称ですが、館の東側に夢見山から延びる尾根がせり出しており、その一帯を躑躅ヶ崎と呼ぶことからきています(『甲府市史 史料編 第一巻 原始 古代 中世』)。

 

 さて、良い時間になったので駐車場へ向かいます。

 

 すると、ナイスな説明板を発見しました。

 

穴山信君屋敷跡

写真8 穴山信君屋敷跡

 

 信君の屋敷跡に建てられている説明板です。

 

 なるほど、信君は躑躅ヶ崎館のすぐそばに屋敷を構えていたのですね。

 

 さすが、一族の中でもっとも力を持っていた人物だけあります。

 

 躑躅ヶ崎館跡の周辺には、上記のような説明板がたくさん建っており、戦国時代の館周辺を想像するのに非常に役立ちます。

 

 それでは車に乗り込んで、要害山温泉を目指しましょう。

 

 走ってすぐ、我らがアニキ、小山田信茂の屋敷跡発見!

 

小山田信茂屋敷跡

写真9 小山田信茂屋敷跡

 

 信茂の屋敷と通りを挟んで反対側は、粟村さんが好きな武田逍遥軒(信玄の弟)の屋敷です。

 

 なんか、ここは武田氏好きにとっては非常にワクワクする場所ですね。

 

要害山温泉の露天風呂から甲府市内を睥睨

 

 さてそんなわけで、11時ジャストに要害山温泉に到着。

 

要害山温泉

写真10 要害山温泉

 

 入浴料は700円、ロッカー代は100円(戻ってきません)、そして私はタオルを借りたのでさらに100円払いました。

 

 我々が脱衣所に行くと、入れ違いで一人出てきました。

 

 ここは11時オープンなので、多分客ではなく、従業員の方だと思います。

 

 他に客はいなく、我々に貸し切り状態です。

 

 久しぶりの温泉、ひやー、気持ちいー。

 

 そしてここには露天風呂もあるのです。

 

 露天風呂からは、南側の甲府の市街が一望できます。

 

 要害山温泉のパンフレットによると、夜景も素晴らしいようです。

 

 でもお昼でも、全然最高。

 

 私も温泉は好きなんですが、経済的な理由などで、最近は全然行けていません。

 

 一方、粟村さんはかなりの温泉好きで、私と違って各地の温泉をめぐっています。

 

 しばらく二人でゆっくり浸かって、充分満喫した後はお風呂を出ます。

 

 いやー、良い風呂だった。

 

 それでは次は、Mさんのお薦めのお寿司屋さんにランチを食べに行きましょう。

 

 Mさんによると、山梨県民はかなりの寿司好きだそうです。

 

 海がない県なので、私はそれを聴いて意外に思いました。

 

 元来た道を戻り、躑躅ヶ崎館跡の横をまた通って、旧城下町を南下すると、戦国時代の道の名残である「食い違い」があります。

 

 いいねー、こういう道。

 

「若鮨」で甲府で食べる鮮魚の美味しさに驚く

 

 そして市内を南下し、12時半に「若鮨」に到着しました。

 

若鮨

写真11 若鮨

 

 店に入ると、かなり賑わっていますが、カウンターが空いていたのですぐに座ることができました。

 

 ここのお薦めは1000円のランチです。

 

 隣に座っているご婦人は、どうやらメニューにある「サラダちらし」を食べているようです。

 

 あ、これ旨そうだ、これにしよう。

 

 注文してしばらく待つと、お寿司が運ばれてきました。

 

若鮨のサラダちらし

写真12 若鮨のサラダちらし

 

 特製のドレッシングが付いており、それをかけて食べます。

 

 お、旨い!

 

 刺身も大きくカットされた、様々な種類の魚が結構たくさん入っています。

 

 お吸い物もサービスで出てきました。

 

 しかも、器がでかい。

 

 「これで1000円、凄いですね」

 

 粟村さんも気に入ったようです。

 

 何しろかなりなヴォリュームなので、隣のご婦人は「食べきれないわ」と言って残していました。

 

 さて、お腹一杯幸せ気分になった後は、武州八王子へ帰るとしましょう。

 

 もちろん、帰り際にも歴史スポットに立ち寄りますよ。

 

 実は、この帰り道が粟村さんの「武田力」が一番発揮される場面となるのでした。

 

 

つづきの記事はこちら

 

【参考資料】

  • 現地説明板
  • 『日本城郭大系8 長野・山梨』 磯貝正義ほか/著 1980年
  • 『山梨歴史美術シリーズ4 武田神社 武田氏館跡』 清雲俊元ほか/著 2010年
  • 『甲府市史 史料編 第一巻 原始 古代 中世』

 

管理人は山梨県内では以下の歴史スポットも訪れています。

 

岩殿城 (大月市) ・・・ 甲斐郡内地方最強の城郭

要害城 (甲府市) ・・・ 信玄が生まれた躑躅ヶ崎館の詰城

甲府城 (甲府市) ・・・ 近世甲斐国の統治拠点

新府城 (韮崎市) ・・・ 戦うことなく自落した武田氏城郭の最高峰

恵林寺&雲峰寺&景徳院 (甲州市) ・・・ 戦国甲斐武田氏ゆかりの寺院

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