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武田八幡神社

最終更新日:2016年2月23日

 

 韮崎に来てから願成寺の存在を知り、そこで武田氏の祖・信義の墓と伝わる巨大な五輪塔を拝んだあとは、シロキチさんとの待ち合わせ場所である武田八幡神社へ向かいます。

 

 なお、甲府の武田神社と間違える方もおられるようですが、別個の神社ですよ。

 

武田八幡神社諸元

 

ふりがな たけだはちまんじんじゃ
別名
住所 山梨県韮崎市神山町北宮地1185

創建 弘仁13年(822)
史跡・文化財指定 国指定重要文化財 本殿本殿(附棟札5枚、旧巻斗1箇)
山梨県指定有形文化財 末社若宮八幡神社本殿・石鳥居(附 正面石垣)・二の鳥居(附 神額1面 輿石1基)・武田勝頼夫人北条氏祈願文
祭神
  • 誉田別命(ほんだわけのみこと)
  • 足仲津彦命(あしなかつひこのみこと)
  • 息長足姫命(おきながのたらしひめのみこと)
  • 武田武大神
境内神社
  • 若宮八幡神社
公式サイト

 

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第1回 探訪記録

 

探訪年月日 2016年2月20日(土)
天候 曇り
同道者 生源寺さん
探訪ルート 願成寺および武田信義墓 → 武田八幡神社 → 為朝神社 → 白山城 → 能見城 → 御名方神社堀 → 西城 → 新府城

 

 願成寺と武田八幡神社は直線距離で1.4kmくらいなので、歩いても行けそうな近距離ですね。

 

 武田八幡神社は東北東の方向に参道が伸びており、その線上の道を走り、「武田八幡宮入口」交差点を直進すると遠くに鳥居が見えました。

 

 一の鳥居でしょうか。

 

二の鳥居

写真1 二の鳥居

 

 鳥居の下をくぐると、生源寺さんが「あれ、二の鳥居って書いてあったよ」と言いました。

 

 どうやらこの鳥居よりももっと外側に一の鳥居があるようですね。

 

 一の鳥居の場所をWebで探したら、多くのページでこの後出てくる石鳥居を一の鳥居と呼んでいます。

 

 私は社殿から遠い方から、一、二、三と呼ぶようにしているので、石鳥居は三の鳥居と呼びます。

 

 じゃあ一の鳥居はどこか?

 

 白山城の探訪を終えて車で参道を走り出したら、右手に何やらしめ縄を渡したような二本の石柱のようなものが一瞬見えました。

 

 生源寺さんと、「あれがもしかして一の鳥居の名残?」と話していましたが、ご存じの方がいましたらご教示ください。

 

 二の鳥居をくぐると、遠くの方にまた鳥居が見えました。

 

武田八幡神社遠望

写真2 武田八幡神社遠望

 

 長い参道を走り抜け、到着!

 

 お、なんか風格のある石鳥居と随神門ですね。

 

石鳥居と随神門

写真3 石鳥居と随神門

 

 説明板によると、石鳥居は附(つけたり)として正面石垣とともに山梨県指定文化財となっています。

 

 いつ造られたものなのかは分かりませんが、天正12年(1584)に補修されていることから、この地を徳川が制したあと、家康が修理してくれたのでしょう。

 

 随神門もかなり良い感じですが、とくに説明板は見当たらないです。

 

随神門

写真4 随神門

 

 おっと、ここにもやはり・・・

 

熊に注意

写真5 熊に注意

 

 石段を登っていくと正面に舞殿があります。

 

 武田八幡神社は、随神門、舞殿、拝殿、本殿が一直線に並んでおり、私は神社は沢山行きますが、こういった配列の神社は記憶にないです。

 

 生源寺さんによると畿内ではこういった配置の神社が見られるそうで、私はほとんど関東から出ないので、見識が低いわけですね。

 

 舞殿を斜めから見ます。

 

舞殿

写真6 舞殿

 

 奥の方にはもう一つ建物があり、渡り廊下で舞殿と繋がっていますが、要するに控室でしょうか。

 

 もう一段上に拝殿があります。

 

拝殿

写真7 拝殿

 

 そして拝殿の後ろにはこの神社で一番の見どころである本殿が柵に囲われて鎮座ましましていますが、ありがたいごとに柵の隙間からは本殿を拝むことができます。

 

本殿

写真8 本殿

 

 この本殿は、天文10年(1541)に武田信玄が建築させたもので、国の重要文化財に指定されています。

 

 今から475年前に建てられた木造建築物ですよ!

 

 しかも建てたのは武田信玄ですよ!

 

 うーん、素晴らしい。

 

 そしてその横には境内末社である若宮八幡がいらっしゃるのですが、こちらも安土桃山時代から江戸時代初頭の建築とされ、山梨県の文化財に指定されています。

 

若宮八幡神社本殿

写真9 若宮八幡神社本殿

 

 「やっぱ、桧皮葺はいいですよねえ」と話しながら本殿の屋根の辺りを眺めていると、うわ、怖い顔!

 

怖い顔

写真10 怖い顔

 

 熊よりこっちの方が怖いよ。

 

 私が武田八幡神社の由緒で興味深いのは、武田氏の祖・信義がここで元服式を挙げたという伝承を始めとした武田氏との繋がりの深さもそうですが、一番は祀られている武田武大神という神様の存在です。

 

 この神様は、この土地に元々祀られていた神様で、私はこういった天皇家とは別系統の在地の神様に異様に興味があるのです。

 

 つまり、ヤマトの力がこの地に及ぶ前からこの地を支配していた有力者、もっと言えば「古代の王」の姿をそこに見ることができるからです。

 

 説明板には元々ここには「武田王」が祀られており、弘仁13年(822)に宇佐八幡宮が勧請されるとともに合祀されたとあります。

 

 では、武田王とは誰か?

 

 どうやら日本武尊(やまとたけるのみこと)の子のようです。

 

 しかしそうすると、地元の王ではないのか?

 

 いや、そう決めつけるのはまだ早いでしょう。

 

 この辺りは今後も調べてみようと思いますが、もう一つ言うと、武田八幡神社が弘仁13年に創始されたというのは驚くべき話しですよ。

 

 だって、宇佐八幡宮の「近畿地域本部」のような存在である京都にある石清水八幡宮の創建が貞観元年(859)ですから、それよりも早いわけです。

 

 もちろん、寺社の由緒は鵜呑みにできないので、歴史学者はそれを簡単に切り捨てますが、そういう話が生まれた背景を探るのがまた楽しいのです。

 

 ところで、私は神社に来ると、古木を見たり触れたりするのが好きです。

 

 ここ武田八幡神社にも御神木として立派な木が生えています。

 

御神木

写真11 御神木

 

 木っていいよね!

 

 随神門からの眺め。

 

随神門からの眺め

写真12 随神門からの眺め

 

 お、シロキチさんの車らしきものが駐車場に入ってきた。

 

 時刻は9時半。

 

 シロキチさんはお友達のA井さんを同伴されてきました。

 

 A井さんとも我々は昨年の春に一度お会いしています。

 

 全員集合したことですし、それでは午前中のメインである白山城へ登りましょう!

 

【参考資料】

  • 現地説明板

 

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