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俘囚の移配先か?古代史のロマンを秘める場所・別所村

最終更新日:2015年9月30日

 

 現在でも八王子市別所1〜2丁目として地名が残り、多摩市と境を接している別所は、元々は大栗川の支流別所川(現在のせせらぎ緑道)の谷戸に開かれた集落で、谷戸の西側丘陵には古刹蓮生寺があります。

 

 『吾妻鏡』養和2年(1182)4月20日の条に記載されている、頼朝の父・義朝の御持僧・円浄坊が開創し、頼朝から寺田を寄付された武蔵国の蓮生寺が当寺であるという考えが一般的です。

 

 『新編武蔵風土記稿』では、ある説として、薬師堂が在する所を多く別所と号し、村内の蓮生寺にも薬師堂があるため別所という地名になったといいますが、菊池山哉は、別所は俘囚(ふしゅう)が移配された場所に付けられる地名だとしています。

 

 俘囚というのは、奈良時代以降に朝廷が北東北地方の公有化を進めた際に、北東北に住んでいた人びとを「蝦夷(エミシ)」という政治的なカテゴリーに分類し、朝廷の支配下に入った地域のエミシを俘囚と呼びました。

 

 俘囚は全国に強制移住させられており(これを移配と呼ぶ)、大栗川の対岸の帝京大学構内からは、現在の岩手県北上市でエミシが造ったものと同じ土器が出土しており、10世紀の頃にはその地にエミシが住んでいたことが分かり、またエミシは馬の飼育にも長けていたことから、それと同時頃にこの付近にあった小野牧との関連も考えられます。

 

 戦国時代には小田野氏の所領であり、『新八王子市史 資料編2 中世』所収「大石道俊書状写」によれば、天文17年(1548)5月8日に「別所谷」ならびに「堀之内」が小田野新右衛門尉に安堵されています。

 

明治39年の別所村の地形図

 

別所村

 

 ※地図をクリックすると拡大します

 

新編武蔵風土記稿に見る別所村

 

 出典は基本的に『新編武蔵風土記稿』からですが、カッコ書きで「図」は、昭和42年に慶友社が発行した『武蔵名勝図会』(植田孟縉/著・片山迪夫/校訂)からの参照、「M39」は明治39年測図の地形図からの参照を示し、その他は典拠を明記しています。

 

 ⇒国立国会図書館デジタルコレクション内『新編武蔵風土記稿 巻之九十六 多磨郡之八』へリンク

 

分類 名称 概要 現在の名残
小名 なし    
山川 長池 薬師堂の本尊である薬師仏が現出 長池公園内に現存
神社 山王社 蓮生寺の持。村の鎮守。元禄8年9月の再造時の棟札あり 現在の松木小の南?山ごと消滅か
寺院 薬師堂 御朱印高4石余。薬師領。別当蓮生寺。角力(相撲)を興行(「図」)。仁王門の金剛像に「寛永十三年丙子年七月小田野源太左衛門周定仏師高橋安芸守」の刻。「由木山」の扁額は大塔宮護良親王の筆との伝えあり  
蓮生寺 由木山。曹洞宗。永林寺末。本尊は阿閦仏(あしゅくぶつ)で、曹洞宗には稀。元禄5年に永林寺の末寺となり天台宗から曹洞宗に改宗(『皇国地誌』) 八王子市別所1-19-10にて法灯を伝える

 

別所村の明治以降の沿革

 

  • 明治11年(1878)7月22日に制定された郡区町村編制法により神奈川県所属となる
  • 明治21年(1888)4月25日に公布され翌年4月1日の施行され市制町村制により、上柚木村・下柚木村・南大沢村・松木村・中山村・越野村・堀ノ内村・東中野村・大塚村・鑓水村とともに神奈川県南多摩郡由木村を設立
  • 明治26年(1893)4月1日の三多摩の東京府移管により、東京府南多摩郡由木村となる
  • 昭和18年(1943)7月1日の東京都制施行により、東京都南多摩郡由木村となる
  • 昭和39年(1964)8月1日、日野市への編入を希望する住民も多かったが八王子市に編入し、由木村は足かけ76年の歴史を閉じ、八王子市はほぼ現在の形となる
  • 平成27年(2015)4月1日、八王子市は都内初の中核市となる
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