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打越村

最終更新日:2016年2月6日

 

 現在の八王子市打越町とその南側丘陵上の北野台、それに同じく丘陵上で南東方向に延びる野猿街道沿いの絹ヶ丘が江戸末期の打越村で、庄名および郷名は不明、『新編武蔵風土記稿』編さんの時点では、田畑は等分、民家は63軒ありました。

 

 現在の野猿街道は、往時は村内を南東方向に向かう「小野路道」であり、野猿峠はかつては猿丸峠あるいは猿山嶺と呼ばれ、戦国期、峠の西側には峠を護るための砦があったと伝わっています。

 

新編武蔵風土記稿に見る打越村

 

 出典は基本的に『新編武蔵風土記稿』からですが、カッコ書きで「図」は、昭和42年に慶友社が発行した『武蔵名勝図会』(植田孟縉/著・片山迪夫/校訂)からの参照、「M39」は明治39年測図の地形図からの参照を示し、その他は典拠を明記しています。

 

 

「国立国会図書館デジタルコレクション」内、
『新編武蔵風土記稿 巻之百 多摩郡之十二 由井領 打越村』を表示

 

分類 名称 概要 現在の名残
小名 土入   打越中土入緑地、中土入公園
中谷戸   中谷戸IC
大畑  
日向  
山川 猿山嶺   野猿峠
湯殿川  
神社 八幡社 村の鎮守。左右に天王春日
別当薬王寺 新義真言宗、同郡寺方村宝生寺末。泉海山  
山王社  
稲荷社  
寺院 梅洞寺 臨済宗。廣園寺末。金湯山。開山実翁恵真は明応3年(1494)2月24日示寂  
相源寺 新義真言宗。村内薬王寺末。山号なし。開山不詳 明治初年に廃寺(『Web八王子事典』)
隣盛庵 臨済宗。廣園寺末。安養山 明治初年に廃寺(『Web八王子事典』)
光嚴寺(こうがんじ) 臨済宗。廣園寺末。圓通山 明治初年に廃寺(『Web八王子事典』)

 

打越村の明治以降の沿革

 

  • 明治11年(1878)7月22日に制定された郡区町村編制法により神奈川県所属となる
  • 明治21年(1888)4月25日に公布され翌年4月1日に施行された市制町村制により、北野村・西長沼村・片倉村・宇津貫村・小比企村とともに神奈川県南多摩郡由井村を設立
  • 明治26年(1893)4月1日の三多摩の東京府移管により、東京府南多摩郡由井村となる(明治39年時点で由井村役場は旧片倉村内の現片倉駅の南付近にあった)
  • 昭和18年(1943)7月1日の東京都制施行により、東京都南多摩郡由井村となる
  • 昭和30年(1955)4月1日、横山村・元八王子村・恩方村・川口村・加住村とともに八王子市に編入
  • 平成27年(2015)4月1日、八王子市は都内初の中核市となる
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