◆日本史大戦略◆ 西関東・北東北の史跡を踏査し歴史を考察!

上椚田村

最終更新日:2016年2月6日

 

 『八王子のむら』(古文書を探る会/編)によると、天正6年(1578)に、案内、狭間、初沢、原、川原、三田の六村が合併し椚田村になりましたが、村域があまりにも広大だったため、慶長年間には上下に分かれました。

 

 しかしそれでもまだ広かったので、『新編武蔵風土記稿』が編纂された時点で案内、川原ノ宿、原宿の3つに分かれており、往古は横山庄に属したといい、334軒の家があり、10分の9が陸田、残りが水田でした。

 

 

「今昔マップ on the web」内、大正10年の上椚田村付近を表示

 

新編武蔵風土記稿に見る上椚田村

 

 出典は基本的に『新編武蔵風土記稿』からですが、カッコ書きで「図」は、昭和42年に慶友社が発行した『武蔵名勝図会』(植田孟縉/著・片山迪夫/校訂)からの参照、「M39」は明治39年測図の地形図からの参照を示し、その他は典拠を明記しています。

 

 

「国立国会図書館デジタルコレクション」内、
『新編武蔵風土記稿 巻之百二下 多摩郡之十四下 由井領 上椚田村』を表示

 

案内

 

分類 名称 概要 現在の名残
小名 大平   南浅川町大平。案内川に架かる橋に東大平橋と西大平橋
中ノ沢   南浅川町中沢
小柏木   南浅川町小柏木。案内川に架かる橋に東小柏木橋と西小柏木橋
入沢   南浅川町入沢。大正10年の地形図では入沢の奥まで旧道が通っており津久井三井に抜けている
山下   南浅川町山下。案内川に架かる橋に西山下橋と東山下橋
榎窪   南浅川町内に案内川の支流榎窪川があり遡って行くと三井に抜け、明応元年(1492)の創建の峰の薬師(現・東慶寺)がある。峯の薬師堂は高尾側にもある
込縄(こみなわ) 南浅川町内に案内川に架かる込縄橋と込縄橋バス停があったが、圏央道の建設により込縄橋はなくなり、込縄橋バス停は込縄という地名とは関係のない高尾町内に移った
坊ヶ谷
坂本
落合 高尾町内の案内川に架かる落合橋とその東側に落合公園がある
川原ノ宿  
初沢   初沢町
羽根子(はねっこ) 川原ノ宿の本村といわれる
 
原宿  
狭間 狭間町。京王高尾線狭間駅
散田 散田町
新地
山川 高尾山
大平山
榎窪山
北袋
下河原
案内川
小仏川
中ノ沢川
入沢川
榎窪川
麓ノ川
初沢川
関梁 番所
板橋
板橋
神社 十二社権現社 除地。小名散田の丘上
山王社 除地。小名原宿
熊野社 除地。小名原
小室明神社 除地。小名落合。實相院の持 御室社
氷川明神社 除地。村の鎮守。高尾山薬王院の持
山王社 薬王院の持
山王社 小名大平にあり。見捨地。安養寺の持
山王社 見捨地。字ホウキ沢にあり。實相院の持
寺院 興福寺 除地。小名散田にあり。聚林山千光院。曹洞宗。相州愛甲郡小野村龍鳳寺末
大光寺 除地。小名初沢にあり。勝名山。新義真言宗。薬王院末
高乗寺 除地。小名初沢にあり。龍雲山。曹洞宗。上州甘楽郡南蛇井村最興寺末
家徳庵 除地。下長房村長泉寺末
見捨地。小名原にあり。原ノ寮
千体地蔵堂 見捨地。小名川原ノ宿にあり。村持
観音堂 年貢地。小名初沢にあり。高乗寺持
實相院 見捨地。小名落合にあり。小室山。新義真言宗。薬王院末
吉祥寺 見捨地。小名坊ヶ谷。明王山。新義真言宗。薬王院末 明治初期廃寺(『Web八王子事典』)
春泉寺 除地。小名梅ノ木平にあり。久昌山。曹洞宗。高乗寺末 明治初期廃寺(『Web八王子事典』)
安養寺 除地。小名柏木野。回向山淨土院。新義真言宗。薬王院末
十王堂廃跡 年貢地。小名初沢にあり。高乗寺持
旧蹟 屋敷跡
旧家 栗原藤太郎
落合新蔵
井出弥五左衛門
百姓杢左衛門

 

上椚田村の明治以降の沿革

 

  • 明治11年(1878)7月22日に制定された郡区町村編制法により神奈川県所属となる
  • 明治21年(1888)4月25日に公布され翌年4月1日に施行された市制町村制により、上長房村とともに神奈川県南多摩郡浅川村を設立
  • 明治26年(1893)4月1日の三多摩の東京府移管により、東京府南多摩郡浅川村となる(明治39年時点で寺町の長心寺あたりに郡役所があり、元横山町の極楽寺の東に町役場があった)
  • 昭和2年(1927)11月3日、町制施行、八王子市南多摩郡浅川町となる
  • 昭和34年(1959)4月1日、八王子市に編入
  • 平成27年(2015)4月1日、八王子市は都内初の中核市となる
スポンサードリンク



 

ご意見・ご感想は、稲用章

inayouアットマークa.email.ne.jp

までお願いします。