◆日本史大戦略◆ 西関東・北東北の史跡を踏査し歴史を考察!

第17回 奈良時代中期の蝦夷情勢

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 この頃聖武天皇は、奈良東大寺の大仏を造立していたが、表面に塗る金をどう工面するか困っていた。ところが、天平勝宝元年(749)2月22日、陸奥国小田郡(宮城県遠田郡涌谷町)からはじめて黄金が貢進されたのだ。国内初の産金である。聖武は、内心では必ず金が手に入ると念じていたので、金がみつかったときの喜びは限りなかった。しかし、陸奥で金が発見されたことにより、朝廷の北への領土拡張欲が増幅されたものと想像できるので、蝦夷からするとありがたいことではなかったはずである。

 

大宝元年(701)3月15日 凡海宿禰麁鎌(おおしあまつのすくねあらかま)を陸奥に遣わして、金の精錬をさせた。当時陸奥に金があることが知られていた?遣追大肆凡海宿禰麁鎌于陸奥冶金。冶金(やきん)とは、鉱石その他の原料から有用な金属を採取・精製・加工して、種々の目的に応じた実用可能な金属材料・合金を製造すること。

 

 天平勝宝5年(753)6月8日、陸奥国牡鹿郡の丸子牛麻呂(まるこのうしまろ)や丸子豊嶋(とよしま)ら24人に牡鹿連の氏姓を賜り、8月25日には、陸奥国の丸子嶋足(まるこのしまたり)にも牡鹿連の氏姓を賜りました。嶋足は後に道嶋宿禰の氏姓を賜る。

 

 天平宝字元年(757)4月4日、孝謙天皇は「不孝・不恭・不友・不順の者は陸奥の桃生や出羽の小勝(雄勝)に配属し矯正させ辺境を防衛させよ」と勅した。また、6月28日に発覚した橘朝臣奈良麻呂(たちばなのあそんならまろ)の謀反のときも、「陰謀に加わった人民らが都の土を踏むのは汚らわしいので、出羽国小勝村の柵戸に移住させる」と述べた。このように東北の最前線は流刑の地としての意味合いも持つようになる。

 

 翌天平宝字2年(758)6月11日、陸奥国が、昨年8月以来に帰順した1690余人の蝦夷を水田を耕作できるようにして辺境の軍にも充てたいと申請し、許可された。

 

 10月25日、陸奥国の浮浪人を徴発して、現在の石巻市北部の丘陵上に桃生城を造営させた。徴発された者たちはそのまま定住させ、浮浪の徒は柵戸に編入させよとある。12月8日にも桃生城を造営したという記事がある。また同日には、出羽の雄物川流域に小勝柵(雄勝城)を造営した。しかし、翌天平宝字3年(759)9月26日時点で、両城はまだ造営の途中ということがわかる。

 

 同日、出羽国の雄勝・平鹿2郡および玉野・避翼・平戈・横河・雄勝・助河ならびに陸奥国嶺基などに駅家(うまや)を置いた。『続日本紀』では上述の通り、雄勝が2度出てくるが、その意味はわからない。

 

 翌27日、坂東八国と越前・能登・越中・越後の浮浪人2000人を雄勝の柵戸とた。また相模・上総・下総・常陸・上野・武蔵・下野から送られてきた武器を雄勝・桃生の二城に貯えた。

 

 蝦夷で「君」の姓を授かった者は多いが、10月8日、それを「公」の字に変えることになった。

 

 かねてより造営中だった雄勝城だが、翌天平宝字4年(760)正月の淳仁天皇の勅によると、陸奥国の按察使兼鎮守将軍藤原恵美朝臣朝狩(ふじわらのえみのあそんあさかり)らは、荒蝦夷を教え導いて、一戦も交えることなく完成させた。一方桃生城も完成したということだ。なお、雄勝城の場所については、現在でもどこであったかわかっておらず、高橋富雄氏は払田柵(ほったのき。秋田県大仙市・美郷町)がそうではないかと述べていたが、その後の技術の進歩による年輪年代法により、払田柵はそれよりも後の時代の城柵であることがわかっている。ただし、雄勝城はある時期移転したと考えられており、移転後の雄勝城が払田柵ではないかという説がある。

 

 3月10日、謀反などの罪で賎民とされた233人の奴(男の奴隷)と277人の婢(女の奴隷)が雄勝柵に移され、奴隷身分から解放された。また、天平宝字6年(762)12月13日には、乞策児(ほがいびと。乞食)100人を陸奥国に土地を与えて定住させた。このように東北の地は、転落した人たちにとって新たなる人生の出発点ともなったのだ。

 

 天平宝字8年(764)9月11日、大師の藤原恵美朝臣押勝(ふじわらのえみのあそんおしかつ)が謀反を企てていることがはっきりと漏れてきた。押勝と朝廷の間で戦闘がおこり、淳仁天皇は授刀少尉坂上苅田麻呂(さかのうえのかりたまろ。田村麻呂の父)と授刀将曹牡鹿嶋足(おじかのしまたり)を遣わせて、押勝の息子の訓儒麻呂(くすまろ)らを射殺させた。

 

 天平神護2年(766)11月7日、陸奥国の磐城・宮城二郡の籾米殻16400余石を貧民に与え救済した。これがどの程度の効果があったかは分からないが、古代から国家の貧民救済は行われていたのだ。

 

 12月30日、陸奥国の名取公竜麻呂(なとりのきみたつまろ)に名取朝臣の姓を賜った。

 

 

 

 

【参考資料】

  • 『日本書紀(下) 全現代語訳』 宇治谷孟/著 1988年 
  • 『天翔る白鳥 ヤマトタケル』 小椋一葉/著 1989年 
  • 『新版[古代の日本]9 東北・北海道』 1992年
  • 『県史3 岩手県の歴史』 細井計・伊藤博幸・菅野文夫・鈴木宏/著 2009年
  • 『ものが語る歴史25 蝦夷とは誰か』 松本建速/著 2011年
  • 『アイヌ学入門』 瀬川拓郎/著 2015年
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