◆日本史大戦略◆ 西関東・北東北の史跡を踏査し歴史を考察!

第1回 旧石器時代の始まり

 チンパンジーとの共通の先祖から分かれた私たちの先祖は、700万年前に二足歩行を始めたと考えられている。彼らはサヘラントロプス・チャデンシスと呼ばれ、中央アフリカのチャドで発見され、最初の人類とされる。

 

 その後、420万年前には、アウストラロピテクス属が現れ、350万年前にはアウストラロピテクス・アファレンシスが直立二足歩行をしていたと思われる足跡の化石が東アフリカのタンザニアでみつかっている。

 

 そして、250万年前頃には、私たちと同じホモ属のホモ・ハビリスがタンザニアに登場した。

 

 ホモ属は登場すると同時に石器の製作方法を編み出し、本格的に肉食を開始した。それまでも人類は死肉をあさったりしていたと考えられるが、石器を利用することにより、遺体から肉を削ぎ落しやすくなり、好物であったと思われる骨髄を食べるために骨を割るのも容易になったと考えられている。

 

 この石器使用の開始をもって、旧石器時代の始まりとされている。

 

 なお、旧石器時代は、前期・中期・後期と3期に分かれ、前期は石器使用開始より始まり、中期は十数万年前から、後期は約3万5千年前から始まり、約1万6千年〜約1万2千年前に旧石器時代は終焉し、日本の場合は縄文時代に移行する。

 

 さて、話をホモ・ハビリスの登場まで戻すと、石器の活用によって肉を多く食べるようになった人類は、脳の容量を増加させ、より賢くなった。

 

 そしてついに180万年前になると、人類はアフリカを出てアジアやヨーロッパへ向かった。ところが、早くて150万年前、遅くて35万年前には火を自由に扱えるようになり、世界に散って行った彼らの子孫は私たちの先祖になることなく、絶滅してしまったのである。

 

 島根県出雲市の砂原遺跡出土の石器(12万年前といわれる)や、岩手県遠野市の金取遺跡出土の石器(9〜8万年前といわれる)によって、彼らの子孫が日本にまで渡ってきた可能性を考えることができるが、両遺跡の扱いに関しては、研究者の間では意見の一致を見ておらず、12万年前あるいは9〜8万年前に日本に人類がいたかどうかは定かではない。

 

 ただし、『旧石器時代人の歴史』によると、発掘される4万年前以降の石器のなかには、ホモ・サピエンスが作った石器とは違う文化系統の石器があるという。

 

 しかも、大分県大分市の丹生遺跡から出土したチョッパー(初期の石器)は、なんと40万年前の地層から出ているのだ。

 

 ところがこの石器は、ほとんどの研究者から無視されつづけているのである。

 

 なぜほとんどの研究者がこの石器を無視し続けるのかは謎だが、もしかすると日本列島にはホモ・サピエンスではない、ホモ・エレクトスやホモ・ハイデルベルゲンシスがいた可能性も残っている。

 

 さて、砂原遺跡や金取遺跡出土の石器が土に埋もれたかも知れないちょうどそのころ、島根や岩手から遠く離れた東京では、大地の営みが展開されていた。現在の都内の地形の大半を画す、武蔵野台地の形成である。

 

 

 第2回 武蔵野台地の形成

 

【参考資料】

  • 『人類進化の700万年』 三井誠/著
  • 『旧石器時代人の歴史』 竹岡俊樹/著
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