◆日本史大戦略◆ 西関東・北東北の史跡を踏査し歴史を考察!

第2回 武蔵野台地の形成

 

 第1回 旧石器時代の始まり

 

 東京都の本土内の地形を地域によって分類すると、JR京浜東北線沿いの段丘崖(大宮方面に向かって左側に見える崖)で大きく東西に分割でき、東側の崖下に広がる低地帯を東京低地と呼び、西側の台地上を武蔵野台地と呼ぶ。そしてその西南には多摩川を挟んで多摩丘陵があり、西には関東山地が連なっている。

 

 のちに後期旧石器時代の人びとの活躍の場になる武蔵野台地は、多摩川の河岸段丘としての性格を持っている。河岸段丘とは、陸地の隆起や海水面の低下によって、川の水がさらに河床を削り谷が深くなり、川がより低いところを流れるようになったことにより新たに平坦な河岸ができ、それが繰り返されることにより、河岸が階段状となったものをいう。階段状の平らな面を段丘面、段差の部分を段丘崖と呼ぶ(「鳥取県の自然」のこちらのページ<外部リンク>の図が分かりやすい)。

 

 河岸段丘はその形成順からして、高い位置の段丘の方が古く、例えば府中市では、古い方(標高の高い方)から、武蔵野段丘、立川段丘、青柳段丘が形成されている。一般的には武蔵野段丘のことを武蔵野台地と呼ぶが、武蔵野段丘と立川段丘をそれぞれ武蔵野台地の高位面と低位面ととらえる場合もある。また段丘は面とも称される。

 

 また、立川市砂川町で明瞭になり、国分寺市・小金井市・三鷹市・調布市・世田谷区と続く総延長20kmに及ぶ国分寺崖線(ハケ)は、武蔵野段丘と立川段丘の段丘崖である。崖の下からは現在でも所々から湧水が湧き出ている。

 

 ところで、地球が温暖化すると陸地にある氷河が融けるので、海水が増えて海面が上昇する。反対に氷期では、地上に降った雪が融けずに氷となり地上に溜まる。雪自体は海水が蒸発して降らせているので、海水がどんどんなくなり、海面が低下する。海面が低下すると、当然ながら今まで海だったところが陸地化されていく。

 

 地球は数百万年前以降は、数万年周期で氷期が訪れており、13〜12万年前の間氷期(氷期と氷期の間)には海面が上昇し、関東平野は広く海となった。それを古東京湾と呼び、多摩川の河口は青梅市内にあった。

 

 その後、氷期に向けて海面が低下したことで関東各地に海岸段丘が形成され、関東平野は徐々に陸化して行った。

 

 そして10万年前以降、多摩川は青梅付近を頂点として放射状に流路をしばしば変えたので、武蔵野台地は扇状地の形となった。多摩川の河原だったところは河岸段丘となり、武蔵野台地を作った。このころ東京にはナウマンゾウが生息し、上野松坂屋や日本橋日銀の地下工事の際には、ナウマンゾウの牙や臼歯が発見されている。

 

 この時期の多摩川の河原の砂礫(されき)が所沢礫層や武蔵野礫層になっている。

 

 そして、7万年前頃には最後の氷期が訪れ、5万年前頃には、多摩川は武蔵野面と多摩丘陵の間の立川面を流れるに至った。現在の流路に近い場所を流れるようになったのである。

 

 5万年前というと、武蔵野台地に人類が現れる1万5千年ほど前で、そのころには武蔵野台地の形は現在に近い形になっていたわけである。

 

 以上のような順序で形成された武蔵野台地の地下構造は大きく分けると下表のようになっている。

 

武蔵野台地の地下構造

 

 上記の地層のうち、最上層の関東ローム層が後期旧石器時代と関連してくる。次回は関東ローム層と都内への人類移住の始まりについて述べる。

 

 

 第3回 東京にやってきた人類

 

【参考資料】

  • 土地の成り立ちを読む」(外部リンク)
  • 『府中市史 上巻』 府中市/編
  • 『大昔の国分寺』 国分寺市教育委員会/著
  • 『千代田区史 上』 千代田区/編
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