◆日本史大戦略◆ 西関東・北東北の史跡を踏査し歴史を考察!

第3回 東京にやってきた人類

 

 第2回 武蔵野台地の形成

 

 東京の地面を掘ると、すぐに黒土が現れる。黒土をさらに掘り進めると、やがて褐色の赤土が姿を見せる。これを関東ローム層と呼ぶ。

 

 この関東ローム層は、今からおよそ6万年前以降に、富士箱根火山帯や赤城山・榛名山・浅間山などから噴出された火山灰が降り積り土となったもので、下から多摩ローム層、下末吉ローム層、武蔵野ローム層、立川ローム層の4つに大別される。そしてこのうちの立川ローム層から石器が出土される。石器が出るということは、その地層を形成した時期に人が存在していたということである。

 

 ところで前々回、約180万年前にアフリカを出て世界に散っていった人類は私たちの先祖になることなく絶滅したと述べたが、それでは私たちはいったい誰の子孫なのだろうか。

 

 180万年前以降も、人類は何度かアフリカを出て行ったが、私たちの先祖は約20万年前の時点ではまだアフリカにいた。ホモ・サピエンス(現生人類)である。

 

 その人たちの子孫は、約10万年前にアフリカを出て行ったが、思うように拡がらなかったようで、その後6万年前になって再度アフリカを出て今度は世界に拡散して行った。

 

 このホモ・サピエンスのアフリカ出発組の子孫は、約4万年前に日本に到達し、約3万5千年前には東京に進出していたと考えられている。その人たちの使っていた石器が前述したとおり立川ローム層から出土されるのである。

 

 武蔵野台地の表土と黒土層以下、概ね3メートルの厚さを持つ立川ローム層までは、第T層から第?層に分けられ、第V層以下が立川ローム層で、そのうち第]層までの中から石器が出土され、一番古い第]層の年代は、約3万5千年前にあたる。つまり、東京に人が住み始めたのは約3万5千年前で、その時代は後期旧石器時代にあたり、第]層から石器が出土する遺跡は、高井戸東遺跡(杉並区)、鈴木遺跡(小平市)、武蔵台遺跡(府中市)、尾崎遺跡(練馬区)などがあり、3万5千年前から東京都内の広範囲にわたって人びとが活動していたことがわかる。なお、後期旧石器時代の終わりの時期は研究者によって年代の算出方法に違いがあるが、約1万6千年前から約1万2千年前と考えて良いだろう。それ以降は縄文時代となる。

 

 さて、戦前までは火山灰が降り積もる時代、つまり関東ローム層が作られた時代は、とてもではないが人が住めるような環境ではなかったと考えられており、発掘調査をしても赤土が出るとそこで調査を終了していた。

 

 ところが戦後間もなく、納豆の行商などで生計を立てていた在野の研究者である相沢忠洋氏が、群馬県笠懸町岩宿(現在のみどり市)において、道路の切り通しの赤土の中から黒曜石で作られた石器を掘り出し、相沢氏から連絡を受けた明治大学が昭和24年(1949)から正式に調査を始めたことにより、縄文時代より前に日本に人が住んでいたことが認められた。これを「岩宿の発見」と呼ぶ。

 

 岩宿の発見により、日本にも旧石器時代に人が存在したことが分かったが、都内でも昭和23年(1948)の時点で、当時の国分寺の住職であった星野亮勝氏が、野川源流付近の国分寺町恋ヶ窪小字熊ノ郷(現在の国分寺市)の切り通しで、赤土の断面に黒曜石と礫を発見していたのである。しかし正式な調査は岩宿が先であり、「国分寺の発見」にはならなかった。

 

 それでは、東京都内で一番最初に正式に認定された旧石器時代の遺跡はどこにあるのだろうか。次回述べることにする。

 

【参考資料】

  • 『ヒトの進化 七〇〇万年史』 河合信和/著
  • 『遺跡が語る東京の歴史』 鈴木直人・谷口榮・深澤靖幸/編
  • 『新しい旧石器研究の出発点・野川遺跡』 小田静夫/著
  • 『「岩宿」の発見 幻の旧石器を求めて』 相沢忠洋/著
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