◆日本史大戦略◆ 西関東・北東北の史跡を踏査し歴史を考察!

第3回 本三戸城放火事件

 天文8年(1539)6月14日、南部氏にとって大事件が起きた。晴政の居城である本三戸城(青森県南部町の別名聖寿寺館)が家臣赤松備中によって放火されてしまったのだ。

 

 なぜ備中が本三戸城に放火したのかというと、二つの説があり、一つ目は備中が自領(青森県十和田市赤沼)の隣を治めていた奥瀬安芸と訴訟になった時、晴政が安芸に有利な判定を下したためそれを怨んだからだという説で、二つ目は備中の妻を晴政が宴にはべらせたことを怨みに思ったという説である。

 

 備中は弟七郎とともに城に火をかけ、安芸を斬ることに成功したが、その後逃亡し追手に討たれた。

 

 南部藩はほとんど晴政の事跡について記録を留めなかったが(というか史料を持っていなかったので当然だが)、なぜよりによってこのようなスキャンダラスな話を残したかというと、それには二つの理由が考えられる。

 

 一つ目は、南部家類代の文書類が信直に引き継がれなかったことの理由として、この放火事件の際にそれらが焼失したからだということを主張したかったからである。しかし南部藩のこの主張は、この放火事件から47年後の天正14年(1586)に至るまでの文書も一通も残っていないことから、まったく筋が通らない。

 

 二つ目の理由は、これによって晴政の無能さを引き立てたかったからである。事実上、晴政から当主の座を奪って成立した南部藩にとっては、晴政は無能であれば無能であるほど都合が良いので、本三戸城放火事件を世に知らしめることにしたと考えられる。

 

 『南部史要』を読んでみると、高信を持ち上げておいて晴政を下げるという筋立てなっているのが分かる。

 

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弟高信を顕彰する『南部史要』の南部晴政の項

本三戸城放火事件

岩手郡を自身の権力基盤にした南部高信

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