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第7回 南部晴政をめぐる糠部郡内での「内戦」

 中央の史料には前述の二度しか登場しない晴政だが、地元の史料には数回登場する。

 

 それらは「遠野南部家文書」といわれる一連の古文書群で、そのなかで6通の互いに関連した手紙があり、それによると当時糠部において南部家中の「内戦」といってもよいような状況が惹起されており、晴政はしきりに作戦行動に出ていたことが分かる。それら6通の手紙は惜しくも年が不明だが、『青森県史 資料編 中世1』ではそれらの手紙は永禄末年(1570)頃に出されたものではないかと推測している。

 

 永禄末年というと、既述した永禄年間の鹿角の合戦が収束したすぐ後だ。その時期、晴政は誰と戦っていたのか?

 

 晴政が抗争していた相手は、浅水城(青森県五戸町浅水)の南氏である。浅水というと三戸とは至近の距離である。

 

 少し前まで鹿角に出兵していた晴政はなぜ三戸に至近の浅水を攻めたのか?しかも南氏は南部一族である。晴政の父安信の弟長義(つまり晴政の叔父)が南氏初代であり、永禄末年はまだ存命であった。

 

 長義の婿に剣吉館(青森県南部町剣吉)の北信愛がおり、剣吉館も晴政によって攻められているほか、同じく北氏の所有する森之越館(青森県南部町森越)も攻められている。

 

 晴政には東氏や櫛引氏が味方し、それに対抗する勢力は南氏や北氏、そして八戸氏や七戸氏は中立の立場を取っていた。

 

 なぜ南部一族の間でこのような戦いが起こってしまったのだろうか?

 

 私はその根本には、晴政・高信兄弟(私は兄弟とする)の確執があったのではないかと考えている。

 

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中央の史料から見る南部晴政

南部晴政をめぐる糠部郡内での「内戦」

南部高信の野望

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