◆日本史大戦略◆ 西関東・北東北の史跡を踏査し歴史を考察!

第8回 南部高信の野望

 戦国時代の南部氏が岩手郡に影響力を増やすことができたのは、やはり高信の活躍に拠るところが多いように思える。

 

 しかし高信が岩手郡を攻略する第一歩となった一方井氏との婚姻は、『祐清私記』によると当時岩手郡に何のコネもなかった高信が九戸政実に仲介をお願いして実現したものであった。

 

 政実は南部氏の同盟者であるので、高信は政実の力を借りて岩手郡に手を伸ばしたのである。当時の南部氏と九戸氏との関係は良好であり、九戸氏も南部氏同様南下政策を取るが、信直の有る意味での「裏切り」がきっかけとなって勃発した「九戸政実の乱」までは両家が戦った記録は無く、お互い上手に版図を伸ばしていった。

 

 岩手郡を征した高信は、その後今度は北の津軽に進出する。

 

 高信はなぜせっかく固めた岩手郡の地を出て津軽に行ったのだろうか?

 

 おそらく、岩手郡の諸氏は鹿角の戦いの実績もあり、信直の旗の下に結集させることに成功したので、今度は津軽を経略することにより、津軽と岩手で糠部の晴政を挟み込む戦略に出たものと考えられる。

 

 高信は、自身が南部家を相続する野望はなかったが、子の信直にはそれを実現させたいと願っていたのではないだろうか。与党には、叔父の南長義や、その婿である北信愛などもいる。

 

 晴政と高信は元々関係が悪く、高信が津軽に行きたいという希望を出したときに、晴政は煙たい弟を国境へ追いやることができると思い、それを承諾したものと考えられる。そして、その後高信は実際に晴政に対する作戦行動を開始する。それが、前節で述べた三戸周辺の内戦に現れているのだろう。もちろん、旗頭には自らがなるのではなく、息子の信直をトップに立てて行動を開始した。

 

*** 東北の古代・中世史講座のご案内 ***


 クラブツーリズム新宿本社にて、2017年1月から1年間、月に1度東北地方の古代史と中世史の講座を開講しています。


 1年間かけて東北の古代・中世史を戦国時代の終焉からどんどん遡ってお話しするという内容です。


クラブツーリズムの詳細ページはこちら


 2018年も2017年の内容を増補改訂して開講しますので、興味のある方はどうぞいらしてください。

 

<< 第7回

第8回

第9回 >>

南部晴政をめぐる糠部郡内での「内戦」

南部高信の野望

南部高信の自刃

スポンサードリンク



 

ご意見・ご感想は、稲用章

inayouアットマークa.email.ne.jp

までお願いします。