◆日本史大戦略◆ 西関東・北東北の史跡を踏査し歴史を考察!

第5回 平将門の乱の勃発

 その頃、常陸国の藤原玄明(ふじわらのはるあきら)らは、民の収穫物を盗み、国には全然税を納めず、地域の政治を乱していた。

 

 常陸の長官の藤原維幾(ふじわらのこれちか)は、悪行を重ねる玄明に業を煮やし、太政官に訴えたため、玄明は妻子を連れて下総に逃れる。

 

 玄明の逃れた先には将門がいた。

 

 将門は元々義侠心に溢れる男だったので、意気消沈して逃れてきた玄明を匿まった。

 

 玄明は維幾を恨んでいたため、将門の力を使って維幾に仕返しをしようと企む。

 

 天慶2年(939)11月21日、玄明の言葉に乗せられた将門は、こともあろうか、兵を率いて常陸国府を囲んでしまった。

 

 さきに興世王との出会いが将門のその後の運命を決定づけたと述べたが、玄明の登場もまた将門の運命を蹉跌へ向かわせる駆動力となった。

 

 国府側からは、維幾の息子の為憲や、将門とトラブルを抱えてしばらく国内に潜伏していた貞盛が兵を出してきて合戦になった。

 

 どちらかが先に攻撃してきたかは分からないが、手勢でもって国府を囲んでしまった以上、将門が合戦を仕掛けたと見られても仕方がない。

 

 国府に合戦を仕掛けるということはどういうことになるのだろうか。

 

 もちろんそれは、国家への反逆となる。

 

 しかも以前も下野の国府を囲んだことがあり、国府を手勢で囲んだのは二度目になる。

 

 将門は以前もやっているので感覚が麻痺してしまっていたのかもしれないが、今回は常陸国の長である藤原維幾を捕縛し、常陸国統治に必要な印と鍵を奪ってしまったのだ。

 

 将門は、ついに越えてはならない一線を越えてしまった。

 

 これをもって、歴史は「平将門一族の私闘」の段階から「平将門の乱」へと移行する。

 

 思えば将門は、今までも国家反逆になるかならないかのギリギリのラインを生きてきた。

 

 実際、国家反逆を疑われて訴えられたこともある。

 

 そういう生き方をしていたら、ふとした拍子に一線を越える事態が起きるのも、さもありなん、という感じだろうか。

 

 さて、ついに一線を越えてしまった将門の元に、武蔵国でつまはじきにされた興世王が現れ、将門に悪魔のささやきをする。

 

 「一国を討っても国の咎めは軽くないでしょう。どうせ同じことなら坂東諸国を攻め取ってしまってはいかがでしょうか」

 

 それに対し将門は、「その考えに賛成だ」と述べ、坂東制覇の野望を露わにした。

 

 こうして将門は、今後なし崩し的に国家への反逆を繰り返し、後戻りできない状況に自分を追い込むことになるが、そこに計画性というものは認められない。

 

 まったく感情に動かされたというか、その場の勢いで謀反人になってしまった感がある。

 

 将門は翌12月、今度は下野国を攻め、国司の平公雅(たいらのきんまさ。将門の従兄弟)と前の国司大中臣全行(おおなかとみのまたゆき)を降伏させ、公雅は虚しく都に逃げ帰って行った。

 

 将門はついで上野国を奪い、そこで神がかりになった巫女から天皇の位を授けると言われたので、将門の周りの人びとは将門を「新皇」と呼ぶようになった。

 

 将門は坂東諸国の国司や朝廷の文武百官を任じ、印章を制定し、皇居の選定もした。

 

 でも何か変な感じがしないだろうか。

 

 ほとんどこうなったら、将門は「お飾り」にすぎなくなる。

 

 おそらく笑いが止まらなかったのは、興世王や藤原玄明などの側近グループだろう。

 

 「平将門の乱」は表向きは将門が国家に対して起こした反逆ということになっているが、その将門を操っていたのは、興世王や藤原玄明ではないだろうか。

 

 興世王と藤原玄明は私怨を晴らすために将門をそそのかしたが、それにウカウカと乗ってしまった将門にも奢りの心があったのは確かであろう。

 

 俺はケンカなら誰にも負けないし、事情があって助けを乞うてきた弱い者を助けてやっているんだという自負である。

 

 さて、天慶2年(939)から翌年にかけての年末年始、この頃が、将門陣営の人たちのハッピーさの頂点だっただろう。

 

 しかし年が明けると、「平将門の乱」は意外に呆気なく終わりを迎えることになる。

 

 それに関してはまた次回述べることになる。

 

【参考資料】

  • 『新編 日本古典文学全集 将門記 陸奥話記 保元物語 平治物語』 柳瀬喜代志・矢代和夫・松林靖明・信太周・犬井善壽/校注・訳
  • 『戦争の日本史4 平将門の乱』 川尻秋生/著

 

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平将門の乱の勃発

平将門の乱とは何だったのか

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