◆日本史大戦略◆ 西関東・北東北の史跡を踏査し歴史を考察!

第1回 九戸政実のイメージ

 私が九戸政実の名前を初めて知ったのは、高校生の時にプレイした、ゲーム「信長の野望」においてである。「信長の野望」はシリーズ化されており、その中の何作目だったかは忘れたが、九戸政実は比較的合戦に強い武将として登場していた。

 

 しかし「信長の野望」の中で九戸政実は、松永久秀らと同じく、合戦に連れていくと必ず敵に寝返る武将として設定されていた。

 

 「嫌な奴だな」

 

 それが九戸政実に対する私の最初の印象だった。

 

 「信長の野望」は私と同じくらいかそれより若い世代(40代前半よりも若い世代)に絶大な影響力を持っているので、もしかすると世間での九戸政実の印象は、「東北の片田舎のすぐに裏切る武将」というイメージかも知れない。

 

 しかしその後、九戸政実と同じ岩手県出身の作家である高橋克彦さんが、2001年に九戸政実を主人公にした小説『天を衝く』を単行本化し、九戸政実の名はかなり拡まった。

 

 『天を衝く』の中で九戸政実は、「北の鬼」と呼ばれ、南部氏の有力な分家の男気溢れる強い武将として描かれている。

 

 『天を衝く』が出版された頃は、私は『奥州城壁癖』という南部地方の城館跡をルポルタージュするホームページを始めて3年目で、「九戸政実の乱」について調べているところだった。

 

 「九戸政実の乱」というのは、岩手県北部から青森県東部にかけての糠部(ぬかのぶ)地方で戦国時代の終わりの天正19年(1591)に起きた争乱である。

 

 通説では、南部家第25代晴継が没した後、南部家を誰が継ぐかで揉めて、結局は一族の信直が継いだのだが、跡継ぎのもう一人の候補だった九戸実親(政実の弟)を推していた九戸党がそれを不服としてわだかまりが生じ、後日九戸党は南部家に対して謀反を起こし、最終的には信直を支援する豊臣政権の軍勢が糠部に下向、政実以下が籠る九戸城を落とし、降伏した政実以下を斬首して解決した争乱ということになっている。

 

 九戸家は南部家初代光行の子行連が祖であるので(これが実際は誤りであることは後述)、九戸政実以下の九戸党の蜂起は主家に対する謀反ということになっているわけである。政実は主家に逆らった極悪非道な人物とされ、江戸時代に書かれた記録類にも政実は陰険な男として描かれている。

 

 そういった通説がまかり通っているため、先述の「信長の野望」のなかで政実は「裏切り者」に設定されてしまったわけだ。

 

 しかし本当に政実はそのような悪質な人物だったのだろうか?

 

 歴史というものは勝者が残した記録であるので、勝者にとって都合の悪いことはすべて抹殺され、事実が捻じ曲げられる。

 

 そして敗者の記録は残らないことが多いので、政実の真実の姿を復元することは難しい。

 

 しかし難しいながらも政実や九戸氏について、そして「九戸政実の乱」について真実の歴史を追いかけてみよう。

 

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第1回

第2回 >>

九戸政実のイメージ

「政実」とは誰か?

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