◆日本史大戦略◆ 西関東・北東北の史跡を踏査し歴史を考察!

第5回 津軽安藤氏の乱

 鎌倉時代末期、北奥では蝦夷の蜂起が度々起こり合戦に及んでいた(『鎌倉年代記裏書』)。そのような情勢下、元亨2年(1322)には、下国安藤家の惣領職と蝦夷沙汰代官職をめぐって、惣領である又太郎季長と庶子系で従兄弟の五郎三郎季久(のちに宗季と改名)が争い、武力衝突に発展した。『諏訪大明神画詞』には、このとき両者は西浜折曾関と外浜内末部に城を構えて戦ったと記されている。『北の環日本海世界』によると、西浜折曾関には季長が、外浜内末部には季久が入ったという。

 

 『保暦間記』によると、両者共に幕府の権力者である得宗家執事長崎高資に賄賂を贈り、裁決が自分に有利に下るように働きかけた。その結果、正中2年(1325)6月、幕府の裁定が下り、代官職が季長から取り上げられ宗季へ与えられた。同年9月11日には、宗季は早速、「つかるはなわのこほりけんかしましりひきのかう(津軽鼻和郡絹家島尻引郷)・かたのへんのかう(片野辺郷)、ならひにえそのさた(蝦夷の沙汰)、ぬかのふうそりのかう(糠部宇曽利郷)、なかはまのミまき(中浜の御牧)、みなと(湊)いけのちとう御たいくわんしき(以下の地頭御代官職)」を、「しそくいぬほうし(子息犬法師)」に、「たや(田屋)・たなふ(田名部)・あんとのうら(安渡の浦)」を、「によしとらこせん(女子とら御前)」に一期分として譲り渡す旨の書状を認めている(『新渡戸文書』同日付け「安藤宗季譲状」)。この譲状をみると、安藤氏は津軽から下北半島までの広範囲の地頭代官職に任じられていたとともに、北方貿易で富を得ることが可能な「蝦夷の沙汰」に関する公権も持っていたことがわかる。

 

 敗訴した季長が納得いかなかったことは想像に難くない。季長は当然、矛を収めなかった。嘉暦元年(1326)3月29日には、鎌倉から工藤右衛門尉祐貞が「蝦夷征罰」のため進発した(『鎌倉年代記裏書』)。安藤氏の乱と蝦夷の蜂起が一体となって大事件に発展したのである。鎌倉からの軍勢派遣とともに、現地の津軽でも曽我光称が出陣した。光称は「にしのはま合せん(西浜合戦)」に出陣するに先立ち、5月27日付けで譲状を認めている(『遠野南部家文書』同日付け「沙弥光称曽我光頼譲状」)。

 

 7月26日には、工藤祐貞が又太郎季長を捕らえ鎌倉に帰着したが(『鎌倉年代記裏書』)、それでも事件は解決しなかった。今度は季長の郎従安藤季兼が残党を率いて挙兵したのである。

 

 それに対して幕府は、翌年の6月になって宇都宮五郎高貞や小田尾張権守高知などを奥州へ向かわせた。戦は年を越して長期戦になり、ようやく季兼と幕府の和議がなって10月には高貞らが帰参した(『鎌倉年代記裏書』)。季兼のその後については不明だが、季長の子次郎季綱は、『安藤系図』によると「出羽国秋田住人」となったとある。

 

 元徳2年(1330)6月14日には、安藤宗季は西浜を五郎太郎高季に譲り渡した(『新渡戸文書』同日付け「安藤宗季譲状」)。宗季の系統はこれで安泰かと思われたが、それもつかの間、津軽は更なる混乱に巻き込まれ、安藤氏の地位も予期しない事態の到来で暗転することになる。

 

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次回、「第6回 鎌倉幕府の滅亡と曽我氏の内部対立」はこちら

 

北の南朝 −南部師行・政長兄弟− 目次

第1回

後醍醐天皇

第2回

南部時長らの奮戦と鎌倉幕府の滅亡

第3回

奥州小幕府

第4回

南部師行の糠部派遣

第5回

津軽安藤氏の乱

第6回

鎌倉幕府の滅亡と曽我氏の内部対立

第7回

糠部郡衙での師行

第8回

北奥になかなか根付かない建武勢力

第9回

認められない旧得宗領の所領宛がい

第10回

持寄城降伏

第11回

師行が手にした津軽内摩部郷

第12回

師行の津軽出動と中先代の乱

第13回

師行文書の終焉と尊氏の謀反

第14回

顕家の第一次西上作戦

第15回

師行出陣と尊氏の九州下向

第16回

尊氏の復活と南北朝時代の幕開け

第17回

顕家の第二次西上と師行・顕家の死

第18回

後醍醐の死

第19回

顕信奥州に登場

第20回

津軽・糠部方面の戦いの終焉

第21回

北関東と南奥の情勢

第22回

多田系和賀氏の発祥

第23回

政長の死
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