◆日本史大戦略◆ 西関東・北東北の史跡を踏査し歴史を考察!

第10回 持寄城降伏

 建武元年(1334)8月6日には、南部師行は所領調査の注文(報告書)案を作成した。調査自体はおそらく師行が糠部に赴任してきた直後から実施していたのだろう。

 

 9月6日付けの国宣。糠部郡三戸の内、会田四郎三郎の跡を工藤三郎景資に与えたので、師行は引継ぎを命じられた。

 

 9月12日付けの国宣。横溝孫二郎入道等が陰謀をめぐらせたが、同族の孫六重頼がそれを訴え出た。重頼のその忠節に対して、六郎三郎入道の旧領を宛がったので、師行は沙汰付けを命じられた。なお、六郎三郎入道の旧領は、7月2日の国宣にあるとおり伊達五郎入道善恵に与えられたはずだが、今回重頼に与えられたことをみると、入道善恵が辞退したのか、国府が宛がうのを取りやめたようである。

 

 9月16日付けの国宣。7月29日付けの国宣にて糠部郡七戸が伊達大夫将監行朝に与えられたが、旧領主が旧鎌倉幕府の認可を楯に引き渡しを拒否していたようで、早く行朝に引き渡すように指示された。

 

 10月6日付けの国宣。糠部郡一戸を中条出羽前司時長(4月13日付け国宣の戸貫出羽前司)に給したので、師行は沙汰付けを命じられた。師行とともに検断に任じられていた時長には、このように奥州の土地が給されたが、この時点ではまだ師行は奥州にひとつも所領を得ていないようである。ただし、中条氏も一戸を永く維持できなかったようで、後世の一戸に中条氏の伝承は残されていない。

 

 一方中央でも動きがあった。10月22日、足利尊氏と確執のあった護良親王が謀反の疑いがあるとして後醍醐によって捕らえられたのだ。護良親王は11月には鎌倉に送られ、足利直義の監視下に軟禁される。護良は「武家よりも君のうらめしく渡らせ給う」と独り言を言ったという。尊氏よりも、尊氏を除こうとしないで良いように利用されているように見える父の方が恨めしかったのだ。

 

 さて、話を北奥に戻すと、4〜5月ごろの「石河合戦」に引き続き、持寄城に籠っていた旧政権の残党である名越時如と安達高景が、11月中旬にようやく降伏してきた。これで津軽の騒乱もひとまず収まった。師行は合戦場へは出ていないが、郡奉行・検断という立場上、北奥での人脈を最大限に活用し、名越らが降伏するように謀略をおこなった可能性は充分にあると考える。

 

 12月7日付けの国宣によると、9月の横溝孫二郎入道の陰謀事件がまだ尾を引いているらしく、陰謀に加担した横溝六郎とその子虎熊丸はまだ逃亡中で、師行は捜索を命じられた。

 

 12月14日には、津軽の合戦で降伏してきた者とそれを預かった者の名簿の下書きが作成された(「津軽降人交名注進状案」)。それによると、安藤宗季は捕虜53人中の最多の17名を預かっており、津軽の国府勢力の中心であったことがわかる。以前から師行と文通しており、その文面からするとかなり昵懇の仲であったと思われる安藤孫二郎祐季も2番目に多い5名を預かっている。安藤氏は有力者ゆえに国府から去就を注視されており、警戒されているゆえに所領宛がいで冷遇され、それがまた安藤氏の国府に対する不信感につながり、お互いの疑心暗鬼は募る一方となり、これに師行も巻き込まれるかたちで、南部家と安藤家の長い抗争の歴史が始まるのである。

 

*** 東北の古代・中世史講座のご案内 ***


 クラブツーリズム新宿本社にて、2017年1月から1年間、月に1度東北地方の古代史と中世史の講座を開講しています。


 1年間かけて東北の古代・中世史を戦国時代の終焉からどんどん遡ってお話しするという内容です。


クラブツーリズムの詳細ページはこちら


 2018年も2017年の内容を増補改訂して開講しますので、興味のある方はどうぞいらしてください。

 

次回、「第11回 師行が手にした津軽内摩部郷」はこちら

 

北の南朝 −南部師行・政長兄弟− 目次

第1回

後醍醐天皇

第2回

南部時長らの奮戦と鎌倉幕府の滅亡

第3回

奥州小幕府

第4回

南部師行の糠部派遣

第5回

津軽安藤氏の乱

第6回

鎌倉幕府の滅亡と曽我氏の内部対立

第7回

糠部郡衙での師行

第8回

北奥になかなか根付かない建武勢力

第9回

認められない旧得宗領の所領宛がい

第10回

持寄城降伏

第11回

師行が手にした津軽内摩部郷

第12回

師行の津軽出動と中先代の乱

第13回

師行文書の終焉と尊氏の謀反

第14回

顕家の第一次西上作戦

第15回

師行出陣と尊氏の九州下向

第16回

尊氏の復活と南北朝時代の幕開け

第17回

顕家の第二次西上と師行・顕家の死

第18回

後醍醐の死

第19回

顕信奥州に登場

第20回

津軽・糠部方面の戦いの終焉

第21回

北関東と南奥の情勢

第22回

多田系和賀氏の発祥

第23回

政長の死
スポンサードリンク



 

ご意見・ご感想は、稲用章

inayouアットマークa.email.ne.jp

までお願いします。