◆日本史大戦略◆ 西関東・北東北の史跡を踏査し歴史を考察!

第13回 師行文書の終焉と尊氏の謀反

 鎌倉に入った尊氏はついに征夷将軍を自称し、陸奥には北畠顕家が陸奥守として赴任しているのにもかかわらず、8月、斯波高経の長子家長を奥州管領に任じた。家長は当時15歳、足利氏の一族である。

 

 さて、話を『遠野南部家文書』に戻すと、建武2年(1335)9月1日付けの「北畠顕家御教書写」では、師行の弟政長が「山辺合戦」の軍忠を賞されている。

 

 9月6日付けの顕家御教書。糠部郡南門の内、横溝六郎三郎入道の領地だった中里村について、伊達彦五郎が辞退したため横溝孫六郎重頼に与えたはずだったが、奉行人等が忘却し誤って彦三郎に与えてしまった。師行はこの沙汰付けを命じられた。このような齟齬が起こるのは、国府の行政がうまくいっていなかったからだろうか。

 

 10月24日付けの国宣。陸奥国府より師行に「成田六郎泰次とよく協力し合うように」という指示が来た。これが師行宛ての最後の書状となる。これ以降(約2年7ヶ月間)の師行宛ての文書は現存していない。約2年7ヶ月間といったのは、師行は、顕家の第二次西上に参加して延元3年(1338)5月22日に和泉国阿倍野(大阪市阿倍野区)で討ち死にしたとされているからだ。

 

 2年7ヶ月の間、師行は何をしていたのだろうか。また、その時期の文書は何故相伝されなかったのだろうか。その間後述する通り、師行は糠部郡衙を離れ、津軽を転戦し、おそらくそのあとは北畠顕家が帰ってきた国府に出仕していて糠部に帰らず、その間の文書が残っていないのは、阿倍野で討ち死にして散逸してしまったからだと考えることができる。

 

 一方で尊氏は、「中先代の乱」で勲功の有った武士に対して建武2年(1335)9月27日に一斉に褒賞し、武家の棟梁として独自の政治機構を整え始めていた。征夷将軍の自称や、斯波家長の陸奥下向、それにこの度の褒賞などは、後醍醐には明らかな反抗と見られても仕方が無いが、尊氏はまだ建武政権の一員としての意識は有ったようだ。そういう矛盾したところが尊氏の性格の特徴である。

 

 尊氏の奇怪な行動に対し、後醍醐は中院具光を鎌倉におくり、尊氏の上洛を促した。しかし、尊氏はその求めに応じず、若宮小路の旧幕府の跡地に御所を造ってそこに移った。そして11月2日には、新田義貞を討つと称して、直義が兵を集め、尊氏も義貞討伐を請う書状を後醍醐に送り、18日にはそれが後醍醐のもとに到着している。尊氏はまだ建武政権を離脱するのを決心しかねていたのだ。しかし既に後醍醐は尊氏を見限っており、12日には、尊氏が任じられていた鎮守府将軍に北畠顕家が代って任じられている。そしてその後、陸奥の顕家に出撃を命じるとともに、尊義親王を上将に、新田義貞を大将軍として尊氏討伐のため東下させた。それに対して尊氏は、高師直の弟師泰を迎撃に向かわせたが、矢作川(愛知県)以西の足利氏の領外へ出ることは禁じた。義貞と師泰は矢作川で合戦となり、師泰が負け東へと退却した。26日には尊氏は職を止められる。

 

 師泰敗走の報を受けても尊氏は出撃せず、直義が代りに出撃したが、直義は12月5日、駿河国手越河原(静岡県静岡市駿河区手越原)の戦いで敗れ、箱根山に逃げ込んだ。

 

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次回、「第14回 顕家の第一次西上作戦」はこちら

 

北の南朝 −南部師行・政長兄弟− 目次

第1回

後醍醐天皇

第2回

南部時長らの奮戦と鎌倉幕府の滅亡

第3回

奥州小幕府

第4回

南部師行の糠部派遣

第5回

津軽安藤氏の乱

第6回

鎌倉幕府の滅亡と曽我氏の内部対立

第7回

糠部郡衙での師行

第8回

北奥になかなか根付かない建武勢力

第9回

認められない旧得宗領の所領宛がい

第10回

持寄城降伏

第11回

師行が手にした津軽内摩部郷

第12回

師行の津軽出動と中先代の乱

第13回

師行文書の終焉と尊氏の謀反

第14回

顕家の第一次西上作戦

第15回

師行出陣と尊氏の九州下向

第16回

尊氏の復活と南北朝時代の幕開け

第17回

顕家の第二次西上と師行・顕家の死

第18回

後醍醐の死

第19回

顕信奥州に登場

第20回

津軽・糠部方面の戦いの終焉

第21回

北関東と南奥の情勢

第22回

多田系和賀氏の発祥

第23回

政長の死
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