◆日本史大戦略◆ 西関東・北東北の史跡を踏査し歴史を考察!

第21回 北関東と南奥の情勢

 既述した通り、顕信の北奥登場により、南朝側勢力は一気に活気付き、政長は糠部を出て和賀郡に迫る勢いを見せたが、鎌倉から北上し常陸に入った高師冬軍も負けていない。興国2年(1341)正月には、瓜連城(茨城県那珂市瓜連)のあたりで蠢いているので、南奥の南朝側の拠点小田城を北側から攻める作戦に出たようだ。さらに、高師直の軍勢がやってくるという情報が流れ、それに対して顕信の父親房は2月18日に結城親朝に対して師直を攻撃するように要請したが、後日、師直は東下しないことが分かったため、4月5日にその旨を親朝に伝えた。その後、5月からは両軍とも動きが活発となり、親房は一時師冬に勝ったが、情勢は厳しく、何度も親朝に救援を頼んだが、親朝は動かない。顕信の方も親朝を頼りにしていて、親朝の援助で陸奥国府を奪回しようとしたが、親朝の軍勢が来なかったので、なかなか国府の奪回はならなかった。

 

 南朝勢は親房を後詰めするため10月4日に三迫(宮城県栗原市)に発向して、連日合戦に及んだという。これがいわゆる「三迫合戦」であるが、『史料読解 奥羽南北朝史』では、『鬼柳文書』によって翌年10月にも三迫合戦が行われており、二度行われた説と2年継続して行われた説に疑問を投げかけて、興国2年の「石塔義房催促状」は体裁が整い過ぎていて怪しく、合戦は興国3年の一度だけであったと見ている。

 

 さて、劣勢に立たされた親房は連日のように、親朝に対して救援を依頼する血を吐くような書状を頻発したが、親朝の援軍は来ない。そして、ついに親房にとって思わぬことが起きてしまった。11月10日に小田城の小田治久が北朝の高師冬に降ってしまったのだ。親房は小田城を追われ、小山一族の関宗祐の関城に逃れた。そして親房配下の春日顕国は近くの大宝城に逃れた。

 

 関城と大宝城は、12月8日に師冬に攻められたが、なんとかしのぐことができた。

 

 翌康永元年(興国3年・1342)、「三迫合戦」に対して、北朝の石塔義房は鬼柳憲義の子義綱に対して、出陣を求める懇願ともとれるような書状を発しているが(『鬼柳文書』康永元年と比定される10月8日付け「石塔義房書状」)、『北上市史』によると、義綱は結局そのとおり、北朝側に寝返ってしまった。「三迫合戦」は北朝側の勝利に終わり、その当時、葛西氏に擁され日和山城に居た顕信は、その後、宇津峰城に移ったという説と、滴石城に移って正平元年(貞和二・1346)春に石塔義房が上洛するまで滴石に止まっていたという説があるが、『史料読解 奥羽南北朝史』では、顕信は南出羽に鎮守府将軍府を置いたとしている。このようにこの後の顕信の動静については不明な点が多い。

 

 そして親房にとって最悪なことに、翌興国4年(康永二・1343)8月19日、くどいほどの援軍要請にもかかわらず、それに見向きもしなかった結城親朝がついに尊氏側について挙兵した。北関東・南奥羽の多くの国人もそれにならった。関・大宝両城は、11月11・12日に落城、関宗祐・宗政父子は討ち死にしたが、親房はからくも脱出、吉野に撤退せざるを得なくなった。

 

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次回、「第22回 多田系和賀氏の発祥」はこちら

 

北の南朝 −南部師行・政長兄弟− 目次

第1回

後醍醐天皇

第2回

南部時長らの奮戦と鎌倉幕府の滅亡

第3回

奥州小幕府

第4回

南部師行の糠部派遣

第5回

津軽安藤氏の乱

第6回

鎌倉幕府の滅亡と曽我氏の内部対立

第7回

糠部郡衙での師行

第8回

北奥になかなか根付かない建武勢力

第9回

認められない旧得宗領の所領宛がい

第10回

持寄城降伏

第11回

師行が手にした津軽内摩部郷

第12回

師行の津軽出動と中先代の乱

第13回

師行文書の終焉と尊氏の謀反

第14回

顕家の第一次西上作戦

第15回

師行出陣と尊氏の九州下向

第16回

尊氏の復活と南北朝時代の幕開け

第17回

顕家の第二次西上と師行・顕家の死

第18回

後醍醐の死

第19回

顕信奥州に登場

第20回

津軽・糠部方面の戦いの終焉

第21回

北関東と南奥の情勢

第22回

多田系和賀氏の発祥

第23回

政長の死
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