総社古墳群探訪⑦ 足かけ24年の短命に終わった総社藩の藩庁・総社城

 この記事は、2015年5月4日から2泊3日で探訪した群馬県前橋市の歴史めぐりの様子を当時のブログにアップしたものをこちらのサイトに再アップするものです。

 文章はほとんど当時のものと一緒で、古い内容が含まれていますのでご了承ください。

 補足が必要な場合は、それと分かるように追記します。

 


群馬県前橋市の総社古墳群探訪【2015年5月4日(月)】

イントロダクション → 総社二子山古墳 → 総社愛宕山古墳 → 光巌寺 → 宝塔山古墳 → 蛇穴山古墳 → 総社城跡 → 遠見山古墳 → 山王廃寺跡 → 上野国分尼寺跡 → 上野国分寺跡 → 妙見寺および妙見社 → 上野国府跡 → 蒼海城跡 → 宮鍋神社 → 大友神社 → 総社神社 → 石倉城跡 → 王山古墳 → 前橋城跡 → 前橋八幡


 

枢要部が利根川に崩落した幻の城


 蛇穴山古墳を見た後は、古代から中世を飛び越えて近世の歴史探訪にチェンジです。

 総社には近世初頭に総社藩という藩が置かれ、総社城が藩庁となりました。

 総社城跡は今はいったいどうなっているでしょうか。

 県道15号線に出ると光巌寺の総門がありました。

写真1 光巌寺総門


 総社藩主秋元長朝が建てた光巌寺の正門は、同じく長朝が築城して藩の政庁となった総社城の方に向かっているんですね。
 
 現在の県道15号線は往時の総社城の外郭を南北に突っ切っており、道端には「旧佐渡奉行街道総社宿」という説明板が立っています。
 
 それによると、この道は宝永7年(1710)以降、越後三国道の宿場町として発展しました。
 
 北に向かって少し歩いて振り返ります。

写真2 旧佐渡奉行街道総社宿


 約1kmに渡って直線道が通じています。
 
 この道の北側は元景寺の参道に接続していますが、時間の都合で参詣は割愛します。
 
 ※後で知ったのですが、元景寺の東側にはかつて勝山城という城があり、総社城と同じように城の大半が利根川に崩落して、残りの部分も完全に市街地化されてしまい、往時の面影はないそうです。
 
 元景寺の総門の前から右折して、往時の水堀跡と重なる道を東へ向かうと、ほどなく「城川公園」に着きました。

写真3 城川公園


 なぜこの公園に来たのかというと、総社城の説明板があるからです。

写真4 総社城の説明板

 というか、説明板の真ん前に路駐するなよ!

 実は総社藩の藩庁であった総社城を偲ぶものはまったく残っておらず、唯一この説明板だけがこの辺りが城であったことを証明するものなのです。

 ※私の事前リサーチ不足で、後で知ったところでは、「西木戸跡」および「南木戸跡」の石碑も街中に残っているそうです。
 
 それと、説明板には慶長12年の完成と書いてありますが、『日本城郭大系』には慶長15年とあり、このページのタイトルの「足かけ24年」というのは後者を元にしています。

 公園の北側には平城によく見られるような、堀跡風な窪地が展開しています。

写真5 堀跡風な窪地


 うーん、怪しいなあ・・・

写真6 堀跡風な窪地


 『日本城郭大系』が出た1979年の時点で、すでにこの辺りは市街地化されて遺構は残っておらず、決定的なのは本丸の全部と二の丸の東側という、城の最も重要な部分が利根川に崩落してしまったとのことです。

 

総社藩の歴史

 総社藩は信濃出身の諏訪頼忠の子頼水がこの地に入部し設立したのが始まりです。
 
 頼水の父頼忠は諏訪家当主頼重の従弟にあたり、諏訪惣領家が滅びると流寓の身となりましたが、天文16年(1547)に諏訪上社の大祝職に就き、しばらく後、本能寺の変の混乱に乗じて信濃の旧領を回復します。
 
 その直後は北条氏直に属し家康と敵対しますが、北条・徳川の和睦後は家康に属し、天正18年(1590)の小田原合戦のあと致仕し、天正20年に子の頼水とともに総社へやってきました。
 
 頼水は慶長6年(1601)に前年の関ヶ原の合戦の戦功で信濃の旧領諏訪を回復し、2万7000石で高島藩を設立しました(ちなみに、高島藩では藩祖を頼忠とし、初代藩主を頼水とします)。
 
 そしてそれに代わって同年9月に入部してきたのが秋元長朝です。

 長朝については記述したのでここでは述べませんが、子の泰朝が寛永10年(1633)2月に甲斐国都留郡谷村に加増転封したことにより総社藩は廃藩となり、あわせて総社城は廃城となりました。
 
 その後、この地は高崎藩に蟄居させられていた徳川忠長(3代将軍家光の同母弟)への小遣い料として同藩主安藤重長に与えられましたが、忠長は同年12月には切腹させられています。
 
 ちなみに、忠長と家光の母・江は織田信長の妹・市の娘なので、二人から見ると信長は母方の大伯父に当たります。
 
 それでは次は、総社城の物見櫓の土台として利用されたと伝わる遠見山古墳へ行ってみましょう。

 


群馬県前橋市の総社古墳群探訪【2015年5月4日(月)】

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参考資料

  • 現地説明板
  • 総社・清里の文化財めぐり 前橋市教育委員会/編
  • 『日本城郭大系 4 茨城・栃木・群馬』 児玉幸多・坪井清足/監修 平井聖・村井益男・村田修三/編修 山崎一/群馬県責任編集者 1979年
  • 『戦国武将合戦事典』 峰岸純夫・片桐昭彦/編 2005年

投稿者: 案内人

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