この記事は、2015年1月17日の歴史めぐりの様子を当時のブログにアップしたものをこちらのサイトに再アップするものです。

 この頃は、まだ城跡も積極的に訪れている時期でした。

 文章はほとんど当時のものと一緒で、古い内容が含まれていますのでご了承ください。

 補足が必要な場合は、それと分かるように追記します。

 


埼玉県朝霞市と所沢市の小さな歴史めぐり【2015年1月17日(土)】

柊塚古墳 → 岡城跡 → 東圓寺および朝霞市博物館 → 滝の城


 

国分寺に行くついでに・・・


 2015年になり、先日は「NPO法人 滝山城跡群・自然と歴史を守る会」で開催する八王子城跡めぐりの下見のために、「城はじめ」を兼ねて八王子城跡に行ってきましたが、ちょうど国分寺に行く用ができたので、今年の史跡めぐり第2回目を遂行することに決めました。
 
 そのため、国分寺に近いところを考えた結果、埼玉県朝霞市にある岡城跡や所沢市の滝の城跡がちょうど良いロケーションです。
 
 実は両城とも、2003年11月8日に埼玉県在住の知人に連れて行ってもらいましたが、滝の城跡に到着したときはもう日が暮れかけていて、ほとんど見れていません。
 
 なので、岡城跡と滝の城跡を再訪することに決め、出発の前日にWebで調べていると、岡城跡の近くには柊塚古墳や朝霞市博物館があることが分かったので、それらを含めると時間的にもちょうど良いということで、これで当日のコース設計は完了です。

 

岡城攻略を目論むのは保育園児か?


 国分寺での用を済ませた後は、西国分寺まで一駅乗って、武蔵野線に乗り換え、北朝霞駅までやってきました。

写真1 武蔵野線


 北朝霞駅の改札をくぐり、まずは昼飯が食べられる場所を探します。

写真2 北朝霞駅と朝霞台駅


 ちょうど、ラーメン屋があったので、ササッと済ませ、さっそく南東方向に向かいますが、私はラーメンを食べた後は必ず甘いコーヒーが飲みたくなるので、まずは自販機でコーヒーを買って、その場で飲み干します。
 
 ちなみに上記写真の右手が武蔵野線の北朝霞駅で、正面が東武東上線の朝霞台駅です。

 ややこしいですが、武蔵野線は「北酒場」、東上線は「浅香唯」と覚えてください。
 
 東上線沿線には面白い城跡がたくさんあるのですが、それらを探訪するときはここで東上線に乗り替えて行きますよ。
 
 いやー、それにしても今日は風が冷たいです。
 
 時期的には1年で一番寒い時期ですが、それでもカメラの操作がしにくくなるので手袋は着けません。
 
 歩きだしてすぐに道は下り坂になり、黒目川の段丘を一段降ります。

写真3 黒目川の段丘を降りる

 
 浜崎分署前の交差点を左折し、黒目川の河川敷を進みます。
 
 あ、ちなみに桜並木で有名な東京の「目黒川」とは関係ないですよ!
 
 犬の散歩やジョギングをしている人たちとすれ違いながら、テクテクと歩いていると川の向こう岸に岡城跡が見えてきました。

写真4 岡城跡遠景

 
 今日は岡城にも行きますが、その前に柊塚古墳を見たいと思っています。
 
 河川敷を10分くらい歩くと、左手に何か城郭遺構のようなものが現れました。

写真5 謎の城郭遺構?


 うわー、何だこれは!

写真6 まるで杉山城

 
 杉山城跡のように丸裸になった遺構を見ると、本城郭は二つの曲輪からなり、左手の一段高いのが本曲輪、右手のすり鉢状になっているのが二の曲輪と推測されます。
 
 位置的には岡城に対して黒目川の対岸にあるので、岡城を攻撃するために作られた向城と考えられ、築造年代は・・・

写真7 朝霞どろんこ保育園

 
 なんだ、「朝霞どろんこ保育園」の園庭でしたか。
 
 いやー、でも面白いものを作っちゃいましたね。
 
 おそらくここに通った子供の体内には中世城郭の面白さが染み付いてしまい、将来城郭研究家になる子もいるかもしれません。
 
 というわけで、岡城のすぐ近くに到着しました。

写真8 岡城跡

 
 城跡の北東側の黒目川沿いには駐車場があるので、車で来る人はここに停めるといいですね。
 
 あ、なんだあの看板は!

写真9 株式会社高速


 うわっ、速そう!

 ビジネスはスピードが命なので、何の会社かは分かりませんが、仕事が早そうですね。

 

帆立貝式前方後円墳か?


 岡城跡の駐車場からさらに7分くらい歩き、坂を登っていくと、本日の最初の目的地に到着しました。
 
 柊塚古墳がある柊塚古墳歴史広場です。

写真10 柊塚古墳歴史広場


 台数は少ないですが、一応駐車場もあります。
 
 古墳は、川沿いの段丘のヘリにあることが多いですが、柊塚古墳もやはり黒目川の沖積地から比高17mの台地上にあります。
 
 階段を登っていくと、目の前に墳丘が現れました!

写真11 柊塚古墳


 良いねえ。
 
 ただ、墳丘は生垣で囲ってあり、登ることはできません。
 
 形状はこんな形の前方後円墳です。

写真12 模型


 帆立貝式に近いかな。

写真13 側面から見る

 
 墳丘の長さは66mで、後円部の径は48m、前方部の長さは18m、墳丘の高さは8mです。
 
 大きさ的には、東京都を含めた武蔵南部の古墳の中では中規模、まあ大きい方に入ります。
 
 築造時期は6世紀前半ということですが、最近では関東の古墳の研究も進んでいて、畿内で作られた古墳の形式などの流行が関東へ伝播するのは意外に早かったことが分かっているので、もしかするとさらに50年くらい古い古墳かもしれません。

 

 2020年4月5日追記

 柊塚古墳は、1994年に刊行された『前方後円墳集成』の編年によると9期とされ、2004年の『埼玉の古墳 北足立・入間』(塩野博/著)によると、従来は6世紀第二四半期後半から第三四半期とされていましたが、出土した壺型埴輪の形状から、6世紀前半とやや古く考える説を紹介しています。

 『武蔵と相模の古墳』所収「武蔵北部の首長墓」(太田博之/著)では、6世紀前半の説を採っているようで、8期に位置付けています。

 8期の時期の埼玉県内の古墳を見てみると、比企地方では、東松山市のおくま山古墳が墳丘長62mの前方後円墳で、柊塚古墳の被葬者と勢力が拮抗していたと考えられます。

 そして行田市では、有名な埼玉古墳群の稲荷山古墳が築造され、稲荷山古墳は堂々の120mの墳丘長を誇っています。

 この探訪をしたときは、上記のように築造時期をあれこれ考えましたが、『埼玉の古墳 北足立・入間』(塩野博/著)で述べられているとおり、6世紀前半で良いのではないでしょうか。

 その時期とした場合、帆立貝式古墳としては新しい部類に入ります。

 平面形や前方部の長さを見ると、帆立貝式と呼ぶには躊躇するものの、著しく低い前方部は、帆立貝式古墳の特徴です。

 6世紀は東北北部でも似たような特徴の古墳が築造されるので、これはこれで古墳時代後期の一つのフォーマットなのかもしれません。

 
 周溝跡も残っています。

写真14 周溝跡

 
 残念ながら前方部はだいぶ削られており、現状では見てもほとんど分かりません。

写真15 前方部


 往時はかなり眺望も良かったでしょうね。

写真16 柊塚古墳からの眺望


 朝霞市のホームページによると、埼玉県南部で唯一残る前方後円墳だそうで、左記ページにも詳しい説明が書かれているので是非ご覧ください。
 
 柊塚古墳からは家形埴輪が出土しており、これから行く朝霞市博物館で見られるようですが、それを模したトイレがあります。

写真17 家形埴輪トイレ

 
 柊塚古墳のすぐ南西側には、かつては並び立つように一夜塚古墳というのがあったのですが、戦時中に朝霞第二小学校の校舎を建設するために破壊されました。
 
 一夜塚古墳は直径50m・高さ7mの円墳で、柊塚古墳などとともに根岸古墳群を形成していましたが、一夜塚古墳の埋葬施設は木炭槨であり、一方柊塚古墳の方は、後円部に粘土槨と木炭槨の2基の埋葬施設が確認されています。
 
 さて、公園内には小学生がワラワラと集まってきてボールなどで遊び始めました。
 
 おじちゃんは邪魔なので、退散しましょうか。
 
 公園の西側の入口はこんな感じ。

写真18 西側入口

 
 それでは次は、岡城跡を目指しましょう。

 


埼玉県朝霞市と所沢市の小さな歴史めぐり【2015年1月17日(土)】

柊塚古墳 → 岡城跡 → 東圓寺および朝霞市博物館 → 滝の城


 

参考資料

  • 朝霞市のホームページ
  • 現地説明板
  • 『新編埼玉県史 資料編2 原始・古代 弥生・古墳』 埼玉県/編 1982年
  • 『前方後円墳集成 東北・関東編』 近藤義郎/編 1994年
  • 『埼玉の古墳 北足立・入間』 塩野博/著 2004年
  • 『季刊考古学・別冊15 武蔵と相模の古墳』 広瀬和雄・池上悟/編 2007年

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