この記事は、2015年1月17日の歴史めぐりの様子を当時のブログにアップしたものをこちらのサイトに再アップするものです。

 この頃は、まだ城跡も積極的に訪れている時期でした。

 文章はほとんど当時のものと一緒で、古い内容が含まれていますのでご了承ください。

 補足が必要な場合は、それと分かるように追記します。

 


埼玉県朝霞市と所沢市の小さな歴史めぐり【2015年1月17日(土)】

柊塚古墳 → 岡城跡 → 東圓寺および朝霞市博物館 → 滝の城


 

寒風吹きすさぶ中、ひたすら歩く


 朝霞市博物館を出て北朝霞駅へ戻ります。
 
 暖かい博物館から出ると、外の寒さがことさら強く感じられます。
 
 しかも風が強いので、駅へ向かう途中、「今日は滝の城、やめようかな」と思う気持ちが芽生えました。
 
 さきほどの博物館の中には図書室もあったので、そっちに戻って調べ物をすることに変更しようかと思いましたが、「やっぱり今日行っておかないと次はいつ行けるか分からない!」と思い定め、寒風にさらされながら学生に交じって歩き、北朝霞駅へたどり着きました。

 北朝霞駅から武蔵野線に乗ります。
 
 滝の城へ行くには、東所沢駅が最寄り駅になるのですが、滝の城の東側の地形を見たくて一駅手前の新座駅で降りました。

写真1 新座駅


 新座という地名は結構由緒が古くて、武蔵国内に最後にできた郡が新座郡です。

 『続日本紀』によれば、天平宝字2年(758)8月24日の条では、新羅から帰化した僧32人、尼2人、男19人、女21人を武蔵国に移して国内21番目の郡として新羅郡が建てられました。

 この当時は中央も地方も仏教が盛んで、僧侶が開発の中心になったことが分かるため、現在の新座市のどこかに、このときの開発拠点となった寺が造られたものと思われます。
 
 朝鮮半島からの帰化人は、遅くても5世紀には東国各地で活躍していたことが分かっており、彼らの進んだ技術や知識が東国の開発に貢献したことは間違いありません。
 
 また、同じ武蔵国内では、霊亀2年(716)に建郡された高麗郡(現在の日高市周辺)は、668年に滅亡した高句麗の遺民たちによって造られた郡です。

 なお、新羅郡は、建郡してから200年くらい後には、表記が「新座郡」となっており、それを当初は「にいくら」と呼んでいたのですが、いつの間にか「にいざ」になってしまいました。

 そんな由緒のある新座の中心となっている新座駅を出て、線路沿いを西に進みます。

 あ、ペコちゃんとポコちゃんだ!

写真2 ペコちゃんとポコちゃん


 私が生まれてから小学校に入る前まで住んでいた千葉県松戸市稔台の家の近所には不二家があり、よく母に連れて行ってもらったのを思い出します。

 ペコちゃんとポコちゃんについて
 
 ペコちゃんって意外と古い人で、昭和25年(1950)生まれなんですよ。
 
 だけど永遠の6歳だそうです。
 
 一方、ポコちゃんはペコちゃんの翌年に生まれたのですが、なぜか歳は7歳なのです。
 
 このあたりは普通に考えても理解できないので、そういうものだということで、まずは現実を受け入れる勇気を持ちましょう。
 
 ちなみに「ポコ」は、室町時代の幼児を表す言葉である「ぼこ」から来ているそうです(poko ではなく boko)。
 
 (以上、Wikipediaより。)

 
 横を武蔵野線が通過して行きます。

写真3 武蔵野線に追い越される


 お、谷状の地形です。

写真4 谷状の地形


 道は下り坂になっていますが、写真の通り、線路は盛土をしてなるべく勾配がないように造られているのでしょうか。
 
 振り返ると、東側は崖状になっているのが分かります。

写真5 東側の崖状地形


 そしてこの谷の真中(写真4の一番凹んでいるライン)が、新座市と清瀬市の境界になっています。
 
 つまり、埼玉県と東京都の境界でもあります。
 
 もっと言えば、多摩郡と新座郡の境界ですね。

 非常に気になる地形なので、帰宅後明治時代の地形図を見てみると、どうやら線路のラインは昔はちょうど崖の斜面になっており、やはりそこを造成して線路を敷いていました。
 
 そして線路の向こう側の清瀬市下宿には、下宿内山遺跡という原始時代から近世までの複合遺跡があるのですが、中世の遺構も出ており、いわゆる「清戸番所」の比定地とされています。


 さて、坂を登り切りましたが、この先は線路沿いに道がありません。

 そのため、関越自動車道をくぐり、今度は柳瀬川を目指します。

 それにしても寒い・・・

 あ、警備員のお兄さんが自販機で何か買っている。

 そうか、温かい飲み物を買えば良いのか!

 真似してココアを買います。

 ふー、生き返る。

 さて、柳瀬川の河畔に出てきました。

 今度は川沿いを歩きます。

 対岸が目的地である滝の城ですね。

写真6 滝の城跡を柳瀬川の対岸から見る


 武蔵野線のガード下をくぐると、廃工場があります。

写真7 廃工場


 うーん、なんか鬼気迫る感じ。
 
 あ、武蔵野線!

写真8 鉄橋を渡る武蔵野線


 そして新座駅を出て歩くこと40分、ようやく「滝の城址公園」に到着です。

写真9 滝の城址公園駐車場

 

素晴らしく整備された見応えのある中世城郭


 実は滝の城には、2003年11月8日に岡城跡を訪れた後に来ていますが、到着時にはほとんど日が暮れていて、急いで主郭まで登って行き、標柱の写真を撮った頃には夕闇の中でした。
 
 そういうこともあり、今日は実質初めての探訪と言っても良いと思います。

 それでは公園の中に入ってみましょう。

写真10 曲輪を見る


 お、左手には早速曲輪の段々が。

写真11 曲輪の段々


 鳥居に向かって石段が続いていますね。

写真12 鳥居に続く石段


 城山神社です。

写真13 城山神社


 このまま登っていくと、神社のある場所が本郭なんですが、まずは左手の空堀の中を登って行きます。
 
 社務所の屋根が見えますが、そこが二の郭です。

写真14 社務所の屋根が見える


 お、説明板発見!

写真15 説明板


 素晴らしいことに、パンフレットが置いてある!
 
 「武州 滝の城」の幟もいいですねえ。
 
 それではここで、説明板に書かれている縄張図を掲載します。

写真16 説明板の縄張図


 そしてそれとともに、いつものごとく、「余湖くんのホームページ」から余湖図をお借りいたします。

図1 余湖図


 二の郭から外に向かう橋から南側の空堀を見ます。

写真17 二の郭空堀


 今度は北側。

写真18 二の郭空堀


 いやー、素晴らしい。
 
 往時は二重になっていたようで、現在でも若干二重部分が残っています。

写真19 二重空堀


 私も最近は武蔵の城跡をいくつか見ていますが、こちらの地方では二重空堀は珍しい気がします。
 
 ちなみに私が昔フィールドにしていた南部地方(岩手県北部および青森県東部)の館跡では、構造(平面プラン)は全然違いますが、二重とか三重の空堀は普通です。
 
 石碑の建つ入口に来ました。

写真20 石碑の建つ入口


 重ねて言いますが、良い幟ですねえ。

写真21 素敵な幟


 我らが滝山城と同じ氏照の城。
 
 後北条氏は、岩付城の太田氏と敵対していたのですが、氏照の支配地域の対岩付太田氏の前線拠点がここ滝の城だったと考えられます。
 
 氏照の古文書を見ると、清戸の番所というものが出てきて、氏照配下の土豪たちが持ち回りで警備をしていたのですが、かつては滝の城が清戸の番所であるという説が専らでした。
 
 しかし最近では、このページの最初の方でも述べた通り下宿内山遺跡がそうではないかと考える人が多いようです。
 
 ただ、そちらの遺跡には目で見られる遺構は保存されていないようです。
 
 それではいよいよ、本郭を目指しましょう。

写真22 城山神社鳥居


 城山神社の鳥居をくぐると、そこは本郭です。
 
 あ、これです、前回来た時に撮影した石碑は。

写真23 「瀧之城本丸之趾」碑


 ちなみに、前回撮った写真はこれです。

写真24 前回の「瀧之城本丸之趾」碑


 怖っ。
 
 何か写ってるし。
 
 城山神社の社殿。

写真25 城山神社の社殿


 滝の城のある場所は、柳瀬川とその支流に挟まれた、西から東に延びる細長い台地の先端南側斜面です。
 
 そのため、南から東にかけての視界が開けています。

写真26 東南側の眺望


  地形図で確認するとこんな感じ。

図2 滝の城周辺の地形図


 あ、武蔵野線が来る。

写真27 武蔵野線が来る


 何か今日は武蔵野線ばっかり出てきますね。
 
 とりあえずここで、近隣の城との位置関係を示します(クリックすると拡大表示します)。

図3 滝の城周辺の城の地図


 本郭の北側は櫓台のようになっています。

写真28 櫓台


 その上には、「四脚門跡」の説明板が建っています。

写真29 四脚門跡の説明板


 実はここが本郭の虎口に当たり、北側の馬出の一画を挟んで三の郭へ続いています。

写真30 本郭虎口の土橋


 ここから直に進んでも良いのですが、ひとまず二の郭との空堀に降りて、回ってみましょう。

写真31 回っていく


 馬出側に回ってきました。

写真32 馬出から本郭を見る


 さきほどの写真30のアングルを反対から見ています。
 
 それにしても滝の城跡はよく整備されていますね。
 
 前回来た時は暗くてあまり良くわからなかったのですが、もっと荒れていたような感じがします。
 
 こちらも地元のボランティアの方々が一生懸命景観維持に努められているそうです。
 
 我々はこうやって普通に城めぐりをしますが、楽しく見学できるのもそういった方々の努力の賜物であることに感謝しましょうね。
 
 おや、三の郭方向へ向かう二組の母子。

写真33 三の郭方向へ向かう二組の母子


 城跡はお散歩に良いですが、さすがにもうこの時間では寒くないですか?
 
 いや、今日は日中からずっと風が強く寒いです。
 
 ですが、何とか念願の滝の城を満喫することができています。
 
 三の郭には大井戸跡があります。

写真34 大井戸跡


 どこのお城でも井戸は重要です。
 
 城跡に行ったら井戸の場所を探してみましょう。
 
 三の郭から北東の大手方向を望みます。

写真35 三の郭から北東の大手方向を望む


 南東側を見ます。

写真36 三の郭から南東を望む


 堀の向こう側は郭ではなく、大きな土塁です。
 
 三の郭の南側は帯郭でしょうか。

写真37 三の郭の南側の帯郭


 では堀底に降りてみましょう。

写真38 堀底


 三の郭の東側の土塁の上に登ってみます。

写真39 三の郭東側土塁の上


 南側の先端まで行って引き返します。
 
 今まで見てきたのが城のメインの部分で、本城などと呼ばれる部分で、大体東西が200m、南北が100mくらいの範囲です。
 
 今度は本城を出て、外郭部分に行ってみましょう。


写真40 外郭から三の郭北側を見る

 

外郭部分を探る


 中田正光先生の『埼玉の古城址』によると、住宅街の中にも堀の跡などが残っているとのことなので、探してみようと思いますが、該書が出版されたのはもう30年も前なので、今ではおそらく湮滅していると想像できます。
 
 大手方向へ行くと、道が食い違いになっており、櫓台跡があります。

写真41 櫓台跡

 
 この近辺が滝の城のいわゆる大手門で、城を防御する上では最も重要な部分です。

写真42 櫓台跡


 この近くを掘れば門跡なんかも出てきそうが、写真16の図によれば、この櫓台付近も発掘調査されており、空堀跡が見つかっているようですね(写真16の図に反映されています)。
 
 次に出郭へ行ってみます。

写真43 出郭へ


 径が続いています。

写真44 出郭へ向かう径


 お、なんか郭に出ました。

写真45 出郭


 出郭です。
 
 さらに径を進み、谷を下っていくと、滝の城の名前の元になったと言われる滝がありました。

写真46 滝


 それではまた住宅街へ戻り、中田先生の縄張図を見ながら、空堀跡を探してみましょう。
 
 しかし、図の場所に行ってもまったく何の形跡もありません。
 
 やっぱり、思った通り湮滅していますね。
 
 もう寒くて仕方がないので、お家へ帰りましょう。
 
 県道179号線を東所沢駅を目指して南西に向かいます。
 
 あー、疲れた。
 
 足取りも重く、早く歩けません。
 
 20分くらい歩いてようやく線路沿いの道に出ました。
 
 お腹も空いてきましたが、コンビニもありません。
 
 鼻水をすすりながら歩いていると、前方にポッカの自販機が!
 
 ポッカであれば、コーンスープがある!
 
 いやー、寒さと飢えのなか飲むコーンスープはことのほか旨い。
 
 ようやく東所沢駅に到着。

写真47 東所沢駅


 滝の城跡の大手口からは2kmくらいしかないので、元気であれば25分くらいで歩けるはずですが、なんか40分くらい掛かってしまいました。
 
 電車を乗り継ぎ高尾まで戻り、たかお食堂に寄ってカツカレーを食べたら生き返りました。
 
 さて、そんなわけで今日は非常に寒かったですが、充実した一日でした。
 
 私は武蔵の城はまだ50箇所くらいしか見ていないのですが、滝の城は埼玉県南部では最高水準の面白さです。
 
 駅からは少し歩きますが、所沢市内にこんなに面白い城跡があるので、近くの歴史好きの方は是非訪れてみてください。
 
 また遠方からでも公園に駐車場があるので車で来ても大丈夫ですよ。

 

⇒この次の探訪は2015年1月23日の「初めての川越歴史探訪」です。

 


埼玉県朝霞市と所沢市の小さな歴史めぐり【2015年1月17日(土)】

柊塚古墳 → 岡城跡 → 東圓寺および朝霞市博物館 → 滝の城


 

参考資料

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