川越古代史探訪⑥ 古代入間の王の墓か?牛塚古墳

 この記事は、2016年10月10日の歴史めぐりのレポートですが、当時は探訪記事を書いていなかったため、当時のことを思い出して記します。

 


川越古代史探訪【2016年10月10日(月)】

山王塚古墳 → 尾崎神社 → 東山道武蔵路跡(JR的場駅近辺) → 上戸日枝神社 → 浅間宮の謎の塚 → 牛塚古墳 → 川越市立博物館 → 川越城跡 → 喜多院多宝塔古墳


 

今回は整備中でした


 謎の塚を見た後は、牛塚古墳へ向かいます。

 住宅街の道路を歩きながら墳丘を探していると、遠くにそれらしきものが見えました。

写真1 牛塚古墳遠望

 あれに違いない。

写真2 牛塚古墳遠望その2

 回り道をして近接を試みます。

 これだ!

写真3 墳丘

 でも、墳丘には登れないようになっていますよ。

写真4 現在整備中


 整備中なんですね。

 仕方ないです。

 古ぼけた説明板があります。

写真5 説明板


 牛塚古墳は、全長42mの前方後円墳で、川越地方では最大の前方後円墳ということです。

 築造時期は7世紀初頭。

 出土した金銅製の指輪というのが気になりますね。

 牛塚と上戸日枝神社との関係は、上戸日枝神社のページで述べた通りです。

写真6 近辺の遺跡地図(川越市立博物館にて撮影)


 整備が済んだらまた来たいな。

写真7 また来るよ

 ※現在は完全に住宅街に囲まれていますが、このあと訪れた川越市立博物館に昔の写真がありましたよ。

川越市立博物館にて撮影

 

2020年4月11日追記


 2019年4月10日に開催された山王塚のシンポジウムの際に購入した、『第46回企画展 山王塚古墳 上円下方墳の謎に迫る』(川越市立博物館/編)に牛塚古墳のことが少し紹介されていました。

 まずは墳丘図です。

『第46回企画展 山王塚古墳 上円下方墳の謎に迫る』(川越市立博物館/編)より転載

 該書によると、墳丘長はいまは47mとされています。

 横穴式石室は、河原石積みの両袖式ですが、面白いことに追葬したときに床面を造り変えして、そのときに片袖にしてしまったそうです。

 築造時期に関しては、従来は7世紀初頭と言われていましたが、当初は在地首長によって6世紀末頃に築造されたのが、7世紀初頭に渡来系氏族が石室を造り変え、例の金銅製指輪はそのときに副葬されたと考えられるということです。

 その例の指輪ですが、どんなものか見てみたいと思っていたら写真を見つけました。


『第46回企画展 山王塚古墳 上円下方墳の謎に迫る』(川越市立博物館/編)より転載


 沖ノ島7号遺跡といっているのは、宗像大社沖津宮がある沖ノ島のことで、そこで見つかった8万点の遺物は一括して国宝に指定され、宗像大社の神宝館に展示してあります。

 なお、沖ノ島の指輪は金銅製ではなく、ほぼ純金ですよ。

 宗像には歴史の仕事で十数度行っており、その金製指輪もよく見ているのですが、残念なことに写真撮影がダメなんですよね。

 ですから、書籍の写真を転載させていただきます。

『古代祭祀とシルクロードの終着地 沖ノ島』(弓場紀知/著)より転載


 なんか話がずれちゃっていますが、これも素晴らしいのでぜひ宗像に行って見てみてくださいね。

 行くのなら、秋の「みあれ祭」の時期がお勧めです!

 


川越古代史探訪【2016年10月10日(月)】

山王塚古墳 → 尾崎神社 → 東山道武蔵路跡(JR的場駅近辺) → 上戸日枝神社 → 浅間宮の謎の塚 → 牛塚古墳 → 川越市立博物館 → 川越城跡 → 喜多院多宝塔古墳


 

参考資料

  • 『シリーズ「遺跡を学ぶ」013 古代祭祀とシルクロードの終着地 沖ノ島』 弓場紀知/著 2005年
  • 『第41回企画展 古代入間郡の役所と道』 川越市立博物館/編 2015年
  • 『第46回企画展 山王塚古墳 上円下方墳の謎に迫る』 川越市立博物館/編 2019年

投稿者: 案内人

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