小さな墳丘に3基もの埋葬主体を持つ円墳・大日塚古墳

基本情報

所在地

埼玉県行田市佐間3-8-9

探訪レポート


行田歴史探訪【2015年3月14日(土)】

忍諏訪神社・東照宮 → 行田市郷土博物館 → 忍城跡 → 高源寺 → 妙音寺 → 大日塚古墳 → 丸墓山古墳 → 稲荷山古墳 → 将軍山古墳 → 将軍山古墳展示館 → 二子山古墳 → 愛宕山古墳 → 瓦塚古墳 → さきたま史跡の博物館 → 奥の山古墳 → 鉄砲山古墳 → 前玉神社および浅間塚古墳


 この探訪記事は、2015年3月14日の歴史めぐりのレポートで、当時のブログに掲載したものをこちらで復刻します。

 文章はほとんど当時のままですので、情報が古い場合がありますがご了承ください。

 その後の追記や補足は、それと分かるように記します。 

予想外の大型板碑に驚く


 早く埼玉古墳群へ行きたいですが、伏兵が至るところに潜んでおりなかなか進めません。
 
 そしてまた、新たな伏兵が・・・
 
 猫ちん!

写真1 猫ちん


 逃げられた!
 
 それはそうと、確かこの辺りに行田市埋蔵文化財センターがあるはず。
 
 お、あった!

写真3 行田市埋蔵文化財センター

 
 高源寺と妙音寺は予想外の伏兵でしたが、実はここはあらかじめ存在を知っていて、わざと伏兵の罠に引っ掛かってみたわけです。

 今日は土曜日なのでセンターが休みであるのは知っていましたが、お目当てはこの古墳です。

写真4 大日塚古墳

 
 説明板によると、径約18mの円墳で、こんな小さな古墳に3基もの埋葬主体があるのです。
 
 築造時期は6世紀前半頃とされますが、その時期はちょうどすぐ近くの埼玉古墳群が隆盛を極めていた頃になりますね。
 
 埼玉古墳群のなかの大型古墳の被葬者は、後の武蔵国に含まれる範囲を統べる「王」であったことは確実なので、ここ大日塚古墳の被葬者は王の下に属した地域の首長だと考えられます。

 以前はこの辺りにいくつかの古墳が存在して、佐間古墳群を形成していました。

 『埼玉の古墳 北埼玉・南埼玉・北葛飾』によると、大日塚古墳は、
内径22m・外径28mの円墳で、佐間古墳群で墳丘が残っているのはこれと諏訪古墳の2基だけです。
 
 説明板には箱式石棺1基と粘土槨2基の合計3基の埋葬主体があると書かれていますが、上述書によれば、最初にこの古墳が築造されたのは5世紀末で、そのときに箱式石棺(緑泥片岩・組み合わせ式・主軸ほぼ東西方向)が埋められ、その後の6世紀前半代に粘土槨2基が並列して埋められたといいます。

 2基の粘土槨は南側を第一粘土槨、北側を第二粘土槨と呼び、第一粘土槨からは歯と粉末状になった人骨が見つかっています。

 また、見つかった埴輪の形式から、この古墳が最初に造られた時期(箱式石棺を納めた時期)は、稲荷山古墳より前と考えられ、埼玉古墳群の出現契機を探る上で重要な古墳と言えます。


 うわっ、なんだこの巨大な板碑は!

写真5 巨大な板碑


 大日塚古墳の墳頂には、昔は嘉禎2年(1236)銘の大日を種子とした板碑が建っており、これはそのレプリカです。
 
 説明板には実物は資料館内に展示してあるということですが、今日は閉まっているから見れませんね。

 しかし今日の最初に郷土博物館で見た板碑もでかかったけど、これも凄い大きさだなあ・・・

 こんなのがかつては墳頂に建っていたなんて、想像すると何か板碑が陽を浴びて神々しく光る様子が目に浮かびます。

 さて、埼玉古墳群はすぐそこに迫っています。
 
 もう12時を回ってしまったので、1時間少しでどれだけ見れるでしょうか。
 
 急ぎます。

  


行田歴史探訪【2015年3月14日(土)】

忍諏訪神社・東照宮 → 行田市郷土博物館 → 忍城跡 → 高源寺 → 妙音寺 → 大日塚古墳 → 丸墓山古墳 → 稲荷山古墳 → 将軍山古墳 → 将軍山古墳展示館 → 二子山古墳 → 愛宕山古墳 → 瓦塚古墳 → さきたま史跡の博物館 → 奥の山古墳 → 鉄砲山古墳 → 前玉神社および浅間塚古墳


 

参考資料

  • 現地説明板
  • 『埼玉の古墳 北埼玉・南埼玉・北葛飾』 塩野博/著 2004年

投稿者: 案内人

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