基本情報

所在地

埼玉県行田市佐間3-7-36

探訪レポート


行田歴史探訪【2015年3月14日(土)】

忍諏訪神社・東照宮 → 行田市郷土博物館 → 忍城跡 → 高源寺 → 妙音寺 → 大日塚古墳 → 丸墓山古墳 → 稲荷山古墳 → 将軍山古墳 → 将軍山古墳展示館 → 二子山古墳 → 愛宕山古墳 → 瓦塚古墳 → さきたま史跡の博物館 → 奥の山古墳 → 鉄砲山古墳 → 前玉神社および浅間塚古墳


 この探訪記事は、2015年3月14日の歴史めぐりのレポートで、当時のブログに掲載したものをこちらで復刻します。

 文章はほとんど当時のままですので、情報が古い場合がありますがご了承ください。

 その後の追記や補足は、それと分かるように記します。 

お寺も時代の波に飲みこまれて消えゆくことがある


 思わぬところで正木丹波守が開基した高源寺と出会い参拝させていただきました。

 急いで埼玉古墳群を目指しましょう。

 まだ少しお昼には早いですが、食べられるときに食べておかないと、と思い沿道に注意しながら歩いていると、「佐間」交差点のところでレストランを発見しました。

写真1 レストラン えびな

 
 「レストラン えびな」です。
 
 私はこういう感じのレストランが好きなのです。
 
 入店してメニューを見ます。
 
 たかお食堂でも食べられる、例えば生姜焼き定食などを食べるよりかは普段食べられない物を食べようと思い、少し奮発してポークソテーを頼みました。

写真2 ポークソテー

 
 品数も多くて、ミニお蕎麦も付いてる!
 
 お肉も美味しい!
 
 何気に普段滅多に食べられない切干大根がありがたいです。
 
 ツナを混ぜているのは良いアイデアですね。
 
 お腹一杯幸せ気分になった後は、探訪の続きをします。
 
 おっと、またお寺を発見!

写真3 妙音寺

 
 こちら月光山妙音寺は、境内の由緒書によると、慶長9年(1604)の創建で、本尊は十一面観音坐像ですが、その観音様は元々は普門寺というお寺に祀られていました。
 
 普門寺は、江戸町(天満)にあったのですが、明暦3年(1657)の忍城の増改築の際に埼玉村に移転を余儀なくされ、しかも文政6年(1823)に松平氏が天祥寺を造営するときに廃寺となり、十一面観音坐像は妙音寺に預けられることになりました。

『新編武蔵国風土記稿』に見える妙音寺と普門寺
 
 『新編武蔵風土記稿』「巻之二百十六 埼玉郡之十八 忍領 佐間村」によると、妙音寺は新座郡野火留平林寺の末で文禄元年(1592)の草創とあります。
 
 また、同書が編さんされた時点では曹洞宗で本尊は勢至観音になっています。
 
 同書の埼玉村の項を見ると、普門寺は妙音寺と同じく野火留の平林寺の末で、忍城の外郭江戸町にあったのが、同所の長永寺とともに明暦3年に埼玉村に移ってきたとあります。
 
 普門寺が廃寺になった文政6年(1823)というと、桑野藩第7代藩主松平忠堯が、「三方領知替え」によって忍藩に転封された年で、天祥寺もそれに伴って大和郡山から移転してきたため、天祥寺に土地を譲る形で普門寺は廃寺となったようです。
 
 ただ、普門寺などが『新編武蔵風土記稿』に現役のお寺として記されているのは、ちょうど廃寺の時期と『新編武蔵風土記稿』が著述されている時期が重なっていたため、最新情報が反映されていなかったためだと考えられます。


  道を急いでいるのに、伏兵が次々と現れますね。
 
 私はあらゆる歴史スポットに興味があるのでなかなか先に進めません。

  


行田歴史探訪【2015年3月14日(土)】

忍諏訪神社・東照宮 → 行田市郷土博物館 → 忍城跡 → 高源寺 → 妙音寺 → 大日塚古墳 → 丸墓山古墳 → 稲荷山古墳 → 将軍山古墳 → 将軍山古墳展示館 → 二子山古墳 → 愛宕山古墳 → 瓦塚古墳 → さきたま史跡の博物館 → 奥の山古墳 → 鉄砲山古墳 → 前玉神社および浅間塚古墳


 

参考資料

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