八高線に乗り武蔵七党の故地を通り高崎へ

探訪レポート


高崎古墳探訪【2013年5月5日(日)】

イントロダクション → 元島名将軍塚古墳 → 高崎城 → 伝箕輪城主長野業盛之墓 → 井出二子山古墳 → 保渡田八幡塚古墳 → かみつけの里博物館


 この探訪記事は、2013年5月5日の歴史めぐりのレポートで、当時のブログに掲載したものをこちらに復刻します。

 文章はほとんど当時のままですので、情報が古い場合がありますがご了承ください。

 その後の追記や補足は、それと分かるように記します。 

ついに前方後方墳を訪れることを決意

 最近私は、比田井克仁著の『関東における古墳出現期の変革』を読んでおり、弥生時代から古墳時代に移り変わるころの関東地方を調べているところです。
 
 関東地方では前方後「円」墳とは違うタイプの前方後「方」墳が、前方後円墳に先駆けて数多く築かれるのですが、その本の中では関東と濃尾地方が関係を濃密にした時期(3世紀第3四半期)のいくつかの東国の前方後方墳の名前が挙がっています。
 
 その中で最初、長野県松本市の弘法山古墳を見てみたいと思いました。
 
 そしてせっかく行くからには博物館も見てみたいと思いました。
 
 しかし調べてみると、松本市の考古資料を集めている考古博物館は、とても辺鄙なところにあり、何と休日はバスが走っていないのです!
 
 公共交通機関を使って来る人は平日に来いということですか。
 
 まあ、車社会の土地なので仕方がないですね。

 ※弘法山古墳と松本市立考古博物館は、2018年11月7日に念願かなって探訪することができました。
 
 ということで、別の古墳にしようと思ったところ、群馬県高崎市の元島名将軍塚古墳が良いと思いました。
 
 高崎であれば八王子から八高線で行けます。
 
 しかも高崎には、かみつけの里博物館という施設があり、周りにも整備された古墳があり、いつか行ってみたいと思っていたので、ちょうど良いということで高崎に行ってみることにしました。

八高線に乗り武蔵七党の故地を北上する

 5時半に起床して、6時5分に出発です。
 
 コンビニに寄って、おにぎりとお茶と缶コーヒーを買って高尾駅に向かいます。

写真1 高尾駅


 日曜の早朝ですが、チラホラと人がいます。
 
 ホームには中央本線の松本行きが停まっていました。

写真2 115系の長野支社色


 115系の長野支社色ですね。
 
 でももちろん今日はこれには乗りません。
 
 ちなみに松本へはこれで3時間半で行けますよ。
 
 今日まず乗るのは6時21分発の中央快速の東京行きです。

写真3 E233系


 E233系に乗り八王子へ向かい、今度は八高線に乗り換えます。

 6時32分発の川越行きの209系3000番台です。

写真4 209系3000番台


 八高線は通勤でも使ったことがありますが、隣の北八王子には会社や工場がたくさんあるので、平日の朝は一駅だけ凄い混みます。
 
 今日は休日なので椅子が全部埋まるくらいの混み具合。

 定刻になりゆっくりと電車は走り始めました。

 八高線は単線で心なしかのんびり走るような気がします。

 さて、実は今まで八高線では拝島までしか行ったことがありません。

 初めて行く場所ってワクワクしますよね。

 拝島あたりから進行方向左手の車窓を見ると、富士山の頭が見え隠れしています。

 箱根ヶ崎を過ぎると、東京都から埼玉県へ侵入です。

 埼玉県に入って最初の駅は金子駅で、金子と言ったら、古代末から中世初頭にかけての武蔵の武士団である、武蔵七党のひとつ村山党の一派金子氏の土地です。

 武蔵国は埼玉県側である北部の方が東京都側の南武蔵よりも武士がよく繁茂していました。

 高麗川駅に着いたら乗り換えです。

 この路線は八王子と高崎を結んだので八高線という名前がついていますが、八王子と高崎の直通電車はありません。

 なぜならば、高麗川から北側は非電化区間だからです。

 電車は走れないのです。
 
 そのため、ここでディーゼルカーに乗り換えです。
 
 隣のホームにはキハ110系が待っていました。

写真5 キハ110系


 何となつかしい!

 キハ110系は、岩手の釜石線や北上線で何度か乗ったことがあります。

 発車するときディーゼルエンジンが唸り声を上げます。

 この音もなつかしい・・・

 高麗川を7時28分に出ると、私はロングシートに座っていたのですが、前に座っている中年の夫婦がサンドイッチを食べ始めたので、私もおにぎりを食べます。

 電車の中で食べるとなんか凄く美味しいんですよね。
 
 おにぎりを食べ終えて、さらに30~40分くらい乗っていると、寄居駅に着きました。
 
 寄居は秩父鉄道も走っています。
 
 そして隣の秩父鉄道のホームを見ると、昔の中央線のようなオレンジの車両が見えます。
 
 なつかしい201系かと思い前を見たら何と201系よりも古い103系じゃないですか!

 ここではJR(国鉄)のお古が活躍しているんですね。

 写真を撮れず残念!

 寄居を出てしばらく進むと、児玉駅に着きました。
 
 ここも武蔵七党の児玉党の故地ですね。

写真6 児玉党故地


 往時、児玉党の武士団もこのような景色を見ながら馬を走らせていたかと思うと、とてもロマンを感じます。

 そして車内にいる地元の高校生の男子を見ても、中世の武蔵七党武士団の若武者のように見えてしまいます。
 
 次の駅は丹荘駅。

 こちらもやはり武蔵七党の丹党の勢力範囲ですね。

写真7 丹党故地


 丹党は丹治党ともいい、天正19年(1591)の九戸政実の乱(岩手県で戦われた秀吉の天下統一の最後の戦い)で政実の軍師として活躍した円子右馬丞元綱も丹党の流れです。

 丹荘駅を出て、少し大きな川である神流川を渡ると、いよいよ群馬県、上野(こうづけ)国です。

 群馬県に入って最初の駅である群馬藤岡駅では結構人が乗ってきました。
 
 そして群馬藤岡から三つ目が高崎駅です。
 
 8時57分、高崎に到着しました!
 
 おおよそ3時間の旅でした。

 意外と近い。

 高崎駅には湘南新宿ラインが停まっています。

写真8 E231系


 隣には、185系も停まっています。

写真9 185系


 改札を出ると、まずはバス乗り場と時間を確認するために、西口に行ってみます。

写真10 高崎駅西口


 正面(西側)には高崎市役所の立派なビルが見えますね。

写真11 高崎駅西口から西を見る


 北側にもデパートの高島屋を初めとして商業施設がありますね。

写真12 西口北側の商業施設


 タワーレコード(CD屋)やジュンク堂(本屋)、ミュージックランド・キー(楽器屋)など東京でもおなじみの店もあります。

 バスの時間はあらかじめ調べてきてはいますが、乗り場を確認するためにバス停に行ってみます。

 最初の目的地である元島名将軍塚古墳へ行くには、群馬中央バスの県立女子大行きで、1番乗り場でした。

 発車時刻は9時45分なので少し時間があります。

 東口も見てみましょうか。

写真13 高崎駅東口


 こちら側もきれいに整備されていますね。

写真14 東口から東を見る


 ヤマダ電機がありますよ。

写真15 ヤマダ電気LABI


 ちなみにヤマダ電機は前橋が発祥ですが、都内の人にとっては昔からメジャーな存在であるビックカメラはここ高崎が発祥なのです。
 
 そして、コジマは栃木県、ケーズデンキは茨城県というように、北関東からは家電量販店がいくつも出現しているのです。
 
 実は私は群馬県は今まで長野や新潟に行く際に通過しただけで、町に降り立ったのは今日が初めてです。
 
 群馬県の県庁所在地は前橋ですが、県内で一番人口が多い自治体は高崎市なんですね。
 
 高崎は鉄道の場合も上越新幹線や長野新幹線が停まり、いろいろな線が集まっています。
 
 ※後で気づいたのですが、車のナンバープレートも群馬と高崎があります。
 
 そういうわけで、今日私は人間の数では群馬一番の町に来たわけです。
 
 少し時間があるので、上信電鉄を見に行ってみましょうか。
 
 入場券を買ってホームに入ると、ちょうど電車が入線してくるところでした。

写真16 上信電鉄


 近づいてきます。

写真17 上信電鉄


 可愛らしい電車ですね。

 ホームの先にはいくつか他の種類の電車も停まっています。

 右側の電車は昔の東武線にこんな顔をした電車がいましたが、それとは違うかな?

写真18 東武顔


 いいねえ。

 ※東武顔をしていますが、帰宅後調べたら上信電鉄の自社発注車でした。

写真19 右手は初期の電気機関車?


 さて、そろそろ良い時間になってきたので、バス乗り場へ向かいます。 

 今度はあらためて時間を確保して上信電鉄に乗りに来たいです。

写真20 入場券


 そろそろいい時間になってきました。

 バス乗り場へ向かいましょう。

  


高崎古墳探訪【2013年5月5日(日)】

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参考資料

投稿者: 案内人

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