なぜ多摩川流域に八角墳があるのか?稲荷塚古墳

1.基本情報

所在地

東京都多摩市百草1140

諸元

墳丘

形状:八角墳
段築:2段
径:34m
周溝:1重
主体部数:1基
築造時期:7世紀前半

主体部

切石積み横穴式石室

出土遺物

2.探訪レポート


なぜ多摩川流域に八角墳があるのか?稲荷塚古墳【2015年6月4日(木)】

稲荷塚古墳


稲荷塚古墳を頂点とする周辺古墳について説明するガイダンスにもなっている

 多摩市の稲荷塚古墳は、公共交通機関で行くにはちょっと不便な場所にあるため、なかなか訪れることができませんでしたが、たまたま近くに来たため、ちょっと寄ってみます。

 というか、ちょっと寄ってみます程度では済まされない、すごい古墳であるというのはよく分かっていますよ。

 地図によると、この辺のはずですが・・・

 あ、あれじゃないか?

写真1 墳丘が見えた


 ありました!

 標柱が建っています!

写真2 標柱が建っている


 説明板もありますね。

写真3 説明板


 稲荷塚古墳は、墳丘の径が34mの八角墳で、7世紀前半の築造とあります。

 周溝もあり、墳丘は2段築成です。

 横穴式石室は、羨道・前室・玄室の複室構造で、全長は約7.7mあり、武蔵府中熊野神社古墳と同じような切石積みで造られています。

 石室の長さでは武蔵府中熊野神社古墳に負けていますが、玄室の床面積はむしろこちらの方が大きいのです。

 墳頂には古墳の名前の通り、稲荷神社が祀られています。  

写真4 墳頂の稲荷神社


 もう一つ説明板がありました。

写真5 説明板その2


 さきほど、玄室の大きさはこちらの方が大きいと言いましたが、高さはこちらは2mということなので、武蔵府中熊野神社古墳の方が天井が高いです。

 設計には高麗尺が使われたとありますが、ここでは1尺が35.5㎝とあります。

 よく聞く説明では、高麗尺は35㎝なんですが、5㎜の差は大きいですよね。

 どちらが正しいのでしょうか。

 拝殿の前に石室の構造が地表面表示されています。

写真6 石室の表示


 石室に入れない場合の見せ方として、こういうのはナイスですね。

写真7 地表面表示


 和田古墳群と記された標柱があります。

写真8 和田古墳群の標柱


 付近の古墳マップが書かれていますが、消えかかっているし、地形は分かるものの、現在の目標物が何も書かれていないので、土地勘が無い人はこれを見てもチンプンカンプンでしょう。 

写真9 周辺の古墳マップ

 北の方から見てみると、大栗川の左岸には、厚生荘病院内横穴墓、万蔵院台古墳群(これは日野市)、中和田横穴墓群があり、右岸には、塚原古墳群、その南に単独で庚申塚古墳、さらに南にここ稲荷塚古墳とその近くに臼井塚古墳がプロットされています。

 何気に、下には各古墳の築造時期のグラフが書かれていますね。

 標柱に記された説明を読んでみましょう。

写真10 標柱の説明


 これは面白い!

 普通は、標柱に「和田古墳群」と記されていたら、その標柱が建っている場所が和田古墳群だと思いますが、なんと、和田古墳群は大栗川を渡った対岸にある古墳群なんですね。

 こういう「遠隔標柱」はなかなかお目に掛かれませんよ。

 でも、さらにもう一つ、塚原9号墳の横穴式石室の説明もあります。

写真11 塚原9号墳の石室の説明


 そうか、分かった!

 ここは稲荷塚古墳を頂点とする周辺古墳について説明するガイダンスのような役目もしているのだ!

 こういうのっていいよね。

 さらにもう一つ、標柱がありましたよ。

写真12 この広場は?

 今度は江戸期の寺跡だった!

写真13 資福院跡の標柱


 この場所には、黄檗宗の資福院というお寺があったそうです。

 ところで、この辺はいまでも和田や百草という住所が多摩市側にも日野市側にもあり、かなり入り組んでいるので、私は仕事でよくこの辺には来ますが、混乱することがあります。

周辺古墳についての補足(2020年4月16日)

 上述の古墳マップに出てきた古墳や横穴墓についてまとめますと、まず厚生荘病院内横穴墓は、その名の通り、厚生荘(「省」ではありません)病院内にある横穴墓のことだと思いますが、良く分かりません。

 つぎに、日野市の万蔵院台古墳群は、四半世紀前の調査なのでちょっと古いですが、『多摩地区所在古墳 確認調査報告書』によれば3基の小さな円墳が確認されています。上述の古墳マップにも3基の古墳がプロットしてありますね。

 つづいて、中和田横穴墓群については、立正大学博物館が2016年に開催した『第11回特別展 横穴墓』の図録によると、50基ほどの横穴から構成され、そのうち調査された14基を見る限りでは、横穴はほぼ横一列に並んでおり、縦方向には重なっていないようです。

 14基の石室は、傾斜が低い場所では長く造られ、傾斜がきつい場所では短く造られ、長い石室は図面を見ても10mを軽く超えているようです。人骨も見つかっていますよ(なお、該書はこちらで読めますのでぜひ読んでみてください)。

 以下も、『多摩地区所在古墳 確認調査報告書』を元に説明すると、塚原古墳群は、9基の小さな円墳が確認されており、1号墳のみ墳丘が残存とあります。

 庚申塚古墳は、10mほどの円墳で、墳丘の上に河原石が散見されると書いてあるので、現地に行って確認しないと何とも言えませんが、葺石でしょうか。

 臼井塚古墳は図面を見る限りでは、稲荷塚古墳の石室と同様な切石積みで、かなり立派な印象ですが、墳丘は残っていません。稲荷塚の被葬者の右腕的存在の墓でしょうか。 

写真14 稲荷塚古墳


 以前から気になっていた古墳に来ることができて嬉しいです。

写真15 稲荷塚古墳


 では帰りますか。

八角墳について(2020年4月16日補足)

 全国的に見ても八角墳はそれほどありませんが、有名なところでは、奈良県明日香村の野口王墓古墳は、天武天皇と持統天皇の墓であることが確実で、桜井市の段ノ塚古墳は舒明天皇陵の可能性が高く、また京都市山科区の御廟野古墳は、天智天皇陵と考えられています。

 このように天皇が眠る非常に格式の高い形状なのですが、なぜそれが多摩川流域にあるのか、そして被葬者が誰なのかについては何も分かっていません。

 稲荷塚は当初は円墳と考えられていたのですが、調査の結果、八角墳であることが分かってからは、多摩川を挟んだ対岸にできた国府を誘致した勢力ではないかと騒がれました。ところがその後、武蔵府中熊野神社古墳が上円下方墳であることが分かってからは、国府との関連を話すときはすっかりそちらにお株を奪われてしまったような感じになっています。

 頑張れ多摩市、府中市に負けるな!

 などと、現代の自治体を引き合いに出して煽っても仕方がありませんが、八角墳であるという事実は非常に重いので、もっと稲荷塚にも注目して欲しいなあと思います。

 ただし、いくら八角墳といっても、中央のそれと稲荷塚では外観がまったく違います。

 すなわち、天皇陵となっている八角墳は立派な基壇を有していたり、段築の段数も多かったりします。それらと比べて稲荷塚はあきらかに格が下なのです。

 ちなみに、私が関東で見た八角墳は、これ以外には山梨県笛吹市の経塚古墳がありますが、それもやはり基壇の無いシンプルな八角墳です。


なぜ多摩川流域に八角墳があるのか?稲荷塚古墳【2015年6月4日(木)】

稲荷塚古墳


3.参考資料

  • 現地説明板
  • 『多摩地区所在古墳 確認調査報告書』 多摩地区所在古墳確認調査団 1995年
  • 『あすか時代の古墳』 府中市郷土の森博物館/編 2006年
  • 『第11回特別展 横穴墓』 立正大学博物館/編 2016年

投稿者: 案内人

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