川尻八幡宮および八幡神社古墳

1.基本情報

所在地

神奈川相模原市緑区川尻4171

諸元

墳丘

形状:円墳
直径:10m
築造時期:7世紀前半

出土遺物

2.探訪レポート


津久井城跡から高尾へ歩く 【2016年1月2日(土)】

津久井城跡 → 大正寺久保沢観音堂 → 春林横穴墓群 → 川尻八幡宮および八幡神社古墳 → 小松城跡 → 下馬梅 → 大戸学校跡 → 大戸観音堂 → 謎の城郭遺構 → 小仏層


境川最上流の古墳

 春林横穴墓群の次は、川尻八幡宮を目指します。

 ショートカットして裏道から行きますよ。

写真1 丘から見た相模台地


 川尻八幡宮には横から入ってきてしまいました。

 拝殿。

写真2 拝殿

 本殿がチラリ。

写真3 本殿開放日

 
 いつもは、本殿を覆う覆屋の格子扉が閉まっていて本殿ははっきり見えませんが、本日(1月2日)は解放されています。

 八幡宮本殿と春日神社本殿の説明板。

写真4 八幡宮本殿と春日神社本殿の説明板

 川尻八幡宮の本殿は、相模原市登録有形文化財で、宝暦10年(1760)の建立、この辺りでは最も古い木造建築物です。

 こちらは春日神社の本殿。

写真5 春日神社本殿


 八幡宮の本殿と春日神社の本殿は仲良く並んでいます。

写真6 仲良し


 川尻八幡宮自体の歴史としては、説明板によると創建は大永5年(1525)とされ、北条氏綱が江戸城を奪取したのがその前年ですので、時期的には北条氏の勢力がこのあたりにおよび始めたころになりますね。

 北条氏が奥三保での影響力を高めるにはなお時間が掛かるものの、北条氏が支配者としてこの地域に進出してきたときに地域の人心を得るために建立したのではないかと考えることができます。

 しかし私の予感では、川尻八幡宮の前身となる神社がかなり古くからあったような気がします。

 というのも川尻八幡宮近辺はこの地域における信仰の中心地ですし、古代には古墳が築かれているからです。

写真7 境内の様子


 それでは、その古墳を見に行きましょう。

 これですね。

 というか、墳丘は無いんですね。

写真8 川尻八幡神社古墳

 横穴式石室の形跡だけが残っています。

 近くでこれを見た若い女の子が「埴輪はないの?」と友達を話していますが、もうこの時代は埴輪は造られないんですよね。

 もちろんそういう蘊蓄を滔々と述べるために話しかけるなんてことはしませんよ。

写真9 川尻八幡神社古墳


 八幡神社古墳の石室は河原石積みですが、『城山町史5 通史編 原始・古代・中世』の104ページの写真を見ると、河原石といっても、100㎏を超えそうな大きな石をふんだんに使って石室を構築していた様子が良く分かります。

 奥壁の石はさらに大きいように見えます。

 この横穴式石室は半地下構造で、『日野市史 資料集 考古資料編』を参照すると、ここより北東方向約9㎞のある平山遺跡(平山古墳群)の2号墳が同様な半地下構造です。

 割れてしまっていますが、人工的に加工した石の一部があります。

写真10 人工的な加工のある石


 石室に使った石でしょう。
 
 『城山町史1 資料編 原始・古代・中世』に天井石の一部として記されているのがこの石でしょうか。

 古墳について刻された石碑があります。

写真11 石碑


 立派な石碑ですね。

 読んでみましょう。

写真12 石碑の文字をアップ


 舎人親王の子孫の伝承が残っているのは面白いですね。

 八幡神社古墳tの近くには、かつては古墳のような塚が複数あったようで、群集墳であった可能性もあります。

 もう少し範囲を広げると、風間南遺跡に古墳のような塚があり、葉山島地区にある相生の塚は、部分的に河原石が露出していることもあり、古墳である可能性が高いです。

 いずれにしても、先ほど見た春林横穴墓を含め、相模川および境川の最上流の古墳地帯ということになるでしょう。


 では、次の目的に行きましょうか。

 参道にはお店が出ています。

写真13 境内参道

 この石もあやしいなあ。

写真14 怪しい石

 
 川尻八幡宮の参道は、東へ向かって約1kmまっすぐに延びていますが、この参道の先にはいったい何があるのでしょうか。

写真15 東へ延びる参道

 毎年、二十四節季の雨水の日と霜降の日は鳥居の正面から旭が登るそうです。

 雨水の日は太陽が雨となって大地に恵みをもたらす日です。

 そして参道の直線を山側にたどっていくとその線上には金刀比羅神社があり、その近くには雄龍籠山(おたつごやま)と雌龍籠山(めたつごやま)という山があり、それぞれが境川と相模川という二つの異なる水系の分水嶺となっています。

 このように計画的に各神社が配置されていたり、雨や水に関する信仰に関連するものが多かったり、かつ相模国内での重要河川の境川と相模川の水源地帯だったりすることから雄龍籠山と雌龍籠山を仰ぎ見る農耕信仰が相当昔からあったのではないかと考えられます。

 この近くには「雨降」という地名がありますが、大山阿夫利神社の「あふり」とは「あめふり」のことだそうです。

 雨に対する信仰は、農耕が生業となった弥生時代以降に発生したと思うので、そうすると川尻八幡宮の土地は弥生時代から何かしら祭祀場があったと考えても良いのではないでしょうか。

 こちらに来る前に事前調査をしていて、川尻八幡宮の参道の延長線上には町田市の箭幹八幡宮の社殿があることを知りました。

 いよいよこの場所には何かあるような気がしてきました。

 というわけで、現在も神社があるこの場所は、弥生時代以降、農耕信仰の祭祀場であった可能性があり、また古墳時代は墓域であったことは間違いないです。

写真16 鳥居脇の石


 川尻八幡宮の前の南北方向に延びる県道も昔からの道であり、道標もあります。

写真17 道標

 県道に出て北を見ると、遠くには大岳山があり、その手間には八王子城の城山も見えていますね。


 では次は小松城跡へ向かいます。


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3.参考資料

  • 現地説明板
  • 『城山町史1 資料編 原始・古代・中世』 城山町/編 1992年
  • 『城山町史5 通史編 原始・古代・中世』 城山町/編 1995年 
  • 『神奈川の横穴墓』 神奈川県考古学会/編 2005年

投稿者: 案内人

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